「内掛け」の版間の差分

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古くは[[昭和]]初期に活躍した元[[関脇]][[新海幸藏|新海]]や、[[1950年代]]の元大関[[琴ヶ濵貞雄|琴ヶ濵]]が得意とした。ただ、この両者の内掛けは様相が異なっており、新海は足を掛けたら絶対に離さずにそのままもたれ込むというものであったのに対し、琴ヶ濵はタイミングよく一発でスパッと相手を仕留めるようなものであった<ref>『平成21年版大相撲力士名鑑』([[共同通信社]])より</ref>。[[1970年代]]以降になると前述の増位山を初め、元大関の[[霧島一博|霧島]]が[[貴乃花光司|貴花田]]や[[貴ノ浪貞博|貴ノ浪]]らに対して、この技で勝利した事がある。また小兵力士ながら[[小結]]まで昇進した[[舞の海秀平|舞の海]]、[[智乃花伸哉|智ノ花]]、[[海鵬涼至|海鵬]]などもそれぞれ内掛けで相手力士を倒しており、多くの相撲ファンを沸かせていた。
*[[1994年]]11月場所12日目、幕内最軽量の[[前頭]]8枚目舞の海が、幕内最重量の同5枚目[[KONISHIKI小錦八十吉 (6代)|小錦]]を左内掛けで破った一番[http://www.youtube.com/watch?v=bKxyETFgwmQ]。
 
== 脚注 ==