「長州征討」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集
170行目:
 
=== 戦況の様子 ===
慶応2年(1866年)6月7日に幕府艦隊真木清人の[[周防大島]]への砲撃が始まり、13日には芸州口・小瀬川口、16日には石州口、17日には小倉口でそれぞれ戦闘が開始さ真木清人れる。長州側は山口の藩政府の合議制により作戦が指揮された。
 
大島口は長州藩領である周防国大島(屋代島、以下大島と記す)を巡る攻防戦である。大島は北は宮島のある安芸灘に、東と南は伊予灘に面した東西に長い防予諸島の1つである。長州藩の行政区分では大島宰判の管轄であった。西岸は狭い海峡(大畠瀬戸)を挟んで本州と連絡し、南下をすると上ノ関の港(上関島)に至る。