「法 (仏教)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
21行目:
#「存在」の意味を中心とする一群。「存在するもの」という意味であり、存在の「性質」「徳性」、さらには「具体的な存在」を構成している実体的要素なども含めて考えられる。
 
=== 真理を意味する「法」===
「真理」をあらわす「法」とは、{{要出典範囲|古い経典に「法をみるものは我をみる。我をみるものは法をみる」<ref>『[[相応部]]ニカーヤ』に残る釈尊の言葉。[http://bukkyo.info/meigen/index.shtml 仏教名言集]</ref>と説かれる|date=2012年3月}}ように、仏のさとった法を指す。その意味で仏法であり、それが教説として説かれたという意味で教法である。
 
[[釈迦]]のさとった法は、釈迦のドグマではない。{{要出典範囲|仏がこの世に出て法を見るのは縁起を見る出てこなくと縁起を見る変わりないを見る(『南伝大蔵典に』)とあるように|date=2012年3月}}、「世間の実相」「世界の真理」であるというのが釈迦がみずからの所信であり、仏教の主張である。この「法」(=真理) とは、[[縁起]]の理である。
 
この真理としての「法」を、具体的な釈迦の教えでいうと、[[諸行無常]]・[[諸法無我]]・[[涅槃寂静]]の[[三法印]]といわれる法であり、無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死の[[十二縁起]]の法である。このような「法」は[[中道]]をいい、仏陀の説かれた苦・集・滅・道の[[四諦]]の法でもある。特に、[[釈尊]]の悟った真理の中の真理とも言えるものを、[[邪法]]ではないと言う意味で[[正法]]([[妙法]])と言う。