「建国神話」の版間の差分
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'''建国神話'''(けんこくしんわ)とは、その[[国]]を[[建国]]したとされる[[神]]、あるいは神の血筋を引くとされる指導者が建国事業を行なったとする[[神話]]を指す。
世界には多くの建国神話があり、現在の支配者が建国神話と関係があるとされる場合、支配の正統性の根拠とされる<ref>例として、[[ニニギ]]の[[天孫降臨]]と天皇家の関係
== 日本 ==
日本の建国神話の形成がいつ頃かをうかがい知る記述として、[[欽明天皇|欽明紀]](『[[日本書紀]]』)に、[[百済]]王が[[新羅]]を攻めたが逆に討死してしまい、[[人質]]として日本にいた百済王子が帰国する際、蘇我臣が、「かつて百済が[[高句麗]]によって滅ぼされそうになった時、百済王が日本の'''建邦の神'''(建国神)を祀って、難を逃れたが、その後、祀らなくなったから、新羅に滅ぼされそうになっているのだ」と語り、日本の建国神について説明し、再び祀るよう薦める記述があり、少なくとも[[6世紀]]中頃には、建国に関する神話が形成されていたことがわかる内容である<ref>『欽明紀』16年2月条の[[雄略天皇]](
=== 百済の建国神話との類型 ===
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