「西城秀樹」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
26行目:
==来歴==
[[広島駅]]近くの東蟹屋町
[[1972年]][[3月25日]]、[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクター音楽産業]]([[RCAレコード|RCA]])よりシングル「[[恋する季節 (西城秀樹の曲)|恋する季節]]」で
[[1973年]]6月25日、「[[情熱の嵐]]」が[[オリコンチャート|オリコン週間チャート]]で初の[[ベストテン]]入りとなり、一躍トップアイドルの仲間入りを果たし、[[郷ひろみ]]、[[野口五郎]]と共に「[[新御三家]]」と呼ばれる。「[[ちぎれた愛]]」、「[[愛の十字架]]」が連続してオリコン週間チャートの第1位を獲得。絶唱型と言われる歌唱法を披露。『[[第15回日本レコード大賞]]』で初の歌唱賞を受賞する。
[[1974年]]、「[[薔薇の鎖]]」でマイクスタンド・アクションを披露。「[[激しい恋]]」が[[1974年の音楽|オリコン年間チャート]]の第8位を獲得。「[[傷だらけのローラ]]」
[[1976年]]の「[[君よ抱かれて熱くなれ]]」から[[1977年]]の「[[ボタンを外せ]]」までは、[[阿久悠]]の作詞、[[三木たかし]]の作曲のコンビによるヒット作品が続く。1976年の「[[ジャガー (西城秀樹の曲)|ジャガー]]」、[[1978年]]の「[[炎 (西城秀樹の曲)|炎]]」
[[ロック (音楽)|ロック]]系の[[ポピュラー音楽]]を中心にしたコンサート活動も精力的に行い、[[1974年]]から[[1983年]]まで
[[1981年]]4月6日、「[[リトルガール (西城秀樹の曲)|リトルガール]]』」でシングル30曲ベストテン入り
[[1983年]]1月21日、スタッフと共に芸映を円満退社し独立、有限会社(現・株式会社)「アースコーポレーション」を設立する。第1弾シングルは「[[ギャランドゥ]]」。以降、[[グラハム・ボネット]]の「[[ナイトゲーム (西城秀樹の曲)|Night Games]]」、[[ワム!]]の「[[抱きしめてジルバ|Careless Whisper]]」、[[バリー・マニロウ]]の「[[腕の中へ|In Search of Love]]」、「It's All Behind Us Now」を[[カヴァー]]する等、それまでの歌謡曲の枠に囚われることなく[[ロック (音楽)|ロック]]系、[[バラード]]系の曲
『[[NHK紅白歌合戦]]』は[[1974年]]から[[1984年]]の「[[抱きしめてジルバ]]」まで11年連続出場。『[[日本レコード大賞]]』では1976年の「[[若き獅子たち (西城秀樹の曲)|若き獅子たち]]」
[[2000年]]、「[[最後の愛]]」を最後に[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクター音楽産業]]系
私生活では、大阪在住で元・会社員だった女性と[[2001年]][[6月30日]]に結婚。[[2002年]][[6月3日]]に長女が、[[2003年]][[9月1日]]に長男が誕生する。
54行目:
[[1972年]][[3月25日]]発売の[[シングル]]「[[恋する季節 (西城秀樹の曲)|恋する季節]]」で歌手デビュー。[[オリコンチャート|オリコン]]42位。順風満帆なスタートとはいかなかった。2枚目のシングル「[[恋の約束]]」は18位、徐々にファンを拡大。続く「[[チャンスは一度]]」で振付けが付く。アクション・ブームの始まり。[[8月8日]]、[[メルパルク東京|東京・郵便貯金ホール]]にてファースト・コンサート『[[ワイルドな17歳/西城秀樹|ワイルドな17歳]]』を開催。[[12月4日]]、『[[夜のヒットスタジオ]]』に初出演。[[12月31日]]、[[郷ひろみ]]は新人賞受賞で『[[第14回日本レコード大賞]]』の本選に出場し、[[野口五郎]]は『[[第23回NHK紅白歌合戦]]』に白組最年少で初出場したが、西城は大晦日の高視聴率番組には出演できず、同じ「[[新御三家]]」でも知名度で差をつけられることになった。
[[1973年]][[3月26日]]、[[毎日大阪会館|大阪毎日ホール]]でデビュー1周年記念コンサート『[[西城秀樹オン・ステージ|ヒデキ・オン・ステージ]]』を開催。[[5月27日]]、[[ユネスコ村]]での「[[情熱の嵐]]」キャンペーンで、空から[[ヘリコプター]]でド派手に登場して話題をさらう。この曲で初めてベストテン入り([[オリコンチャート|オリコン]]6位)。アクションもエスカレート。「
1973年[[9月24日]]、「[[ちぎれた愛]]」が
[[1974年]][[1月16日]] - [[10月9日]]、ホームドラマとして人気を博したTBS『[[寺内貫太郎一家]]』にレギュラー出演。[[2月25日]]発売の「[[薔薇の鎖]]」でのスタンド・マイクを使ったアクションが話題になる。[[5月25日]]発売の「[[激しい恋]]」は売り上げ58.4万枚の大ヒット
1974年[[8月3日]]、日本で初めて、[[スタジアム]]でのワンマン・コンサートを大阪球場で (以降10年連続、後楽園球場では1978年から6年連続で) 開催。[[10月6日]]、[[広島県立文化芸術ホール|広島郵便貯金ホール]]にてコンサート『バック・ホーム・アゲイン・ヒロシマ』を開催。[[10月19日]] - [[10月20日]]、東京・郵便貯金ホールにて第3回コンサート『[[西城秀樹リサイタル/新しい愛への出発|We Love Hideki'74/新しい愛への出発]]』を開催。12月31日、「[[傷だらけのローラ]]」で2年連続となる『[[第16回日本レコード大賞]]』歌唱賞を受賞。『[[第25回NHK紅白歌合戦]]』も今度は文句なくトップバッターとして初出場。
[[1975年]][[1月30日]]、第12回『[[ゴールデン・アロー賞]]』でグラフ賞を受賞。[[2月15日]]、西城の初の海外進出作品として「傷だらけのローラ」の[[フランス語]]バージョン「LOLA」が[[カナダ]]、[[フランス]]、[[スイス]]、[[ベルギー]]で発売され、カナダではヒットチャート第2位にランクされた<ref>西城秀樹オフィシャルサイトの「Music」⇒「
1975年[[10月10日]]、この年の[[7月20日]] - [[8月24日]]に開催された『[[ヒデキ・オン・ツアー|全国縦断コンサートツアー]]』を追って撮影された[[ドキュメンタリー]]映画『[[ブロウアップ ヒデキ]](BLOW UP! HIDEKI)』が公開上映される。 [[11月3日]]、日本人ソロ歌手としては初めての日本武道館公演を行う
=== 1976年 - 1979年 ===
[[1976年]][[2月25日]]、この年から作詞者に[[阿久悠]]を起用。この年発売した3曲「[[君よ抱かれて熱くなれ]]」、「[[ジャガー (西城秀樹の曲)|ジャガー]]」、「[[若き獅子たち (西城秀樹の曲)|若き獅子たち]]」は「青年
1976年[[6月5日]]発売の「ジャガー」で
[[1977年]][[3月30日]]、デビュー5周年記念の第3回日本武道館コンサートを開催。[[7月5日]] - [[7月28日]]、[[ミュージカル]]に初挑戦。『[[わが青春の北壁/西城秀樹|わが青春の北壁]]』([[日生劇場]])主演。[[8月27日]]、第4回大阪球場コンサートを開催。[[11月3日]]、この年2度目となる第4回日本武道館コンサートを開催。[[11月20日]]、[[日本放送協会|NHK]]『[[ビッグショー (テレビ番組)|ビッグショー]]』に出演
[[1978年]][[2月9日]]、[[元旦]]発売の「[[ブーツをぬいで朝食を]]」が『[[ザ・ベストテン]]』で第1位を獲得。この曲の反響でライター・ボヤ事件起こる<ref>「ブーツをぬいで朝食を」のライターを使ったアクションが話題になったが、1978年に子供がこれをマネて火災事故を起こし社会問題になった。それが原因で、次作品の「[[あなたと愛のために]]」での[[手鏡]]を使ったアクションが途中で打ち切りになってしまった。</ref>。[[2月14日]]、『[[バレンタインコンサート・スペシャル/西城秀樹 愛を歌う|バレンタインコンサート]]』で新日本フィルハーモニーと共演。[[6月18日]]、「[[炎 (西城秀樹の曲)|炎]]」で『[[第7回東京音楽祭]]』世界大会に出場、外国審査員団賞受賞。
1978年[[7月22日]]、従来の大阪球場に加え、東京の後楽園球場でも第1回コンサート『[[BIG GAME'78 HIDEKI]]』を開催。[[8月26日]]、第5回大阪球場コンサート『BIG GAME'78 HIDEKI』を開催。以降1984年までツアー名が「BIG GAME」で統一される。[[11月3日]]、第5回日本武道館コンサート『[[永遠の愛7章/西城秀樹|永遠の愛7章]]』を開催。[[12月19日]]、『ザ・ベストテン』で14週ベストテン入りし、年間ベストテン第9位を獲得した「[[ブルースカイブルー]]」で初の最優秀歌唱賞を受賞
[[1979年]][[1月4日]] - [[1月6日]]、[[大阪厚生年金会館|大阪・厚生年金ホール]]にて新春コンサートを開催。「[[YOUNG MAN (Y.M.C.A.)]]」を唄い、「Y.M.C.A.」の4文字を全身で表現するパフォーマンスを披露。[[2月21日]]に発売され売り上げ80.8万枚の大ヒット
=== 1980年 - 1984年 ===
[[1980年]][[1月4日]] - [[1月6日]]、大阪・厚生年金ホールにて新春コンサートを開催。[[4月12日]] - [[4月28日]]、日生劇場での特別ロングラン・リサイタル『[[限りない明日を見つめて/西城秀樹|限りない明日を見つめて]]』を開催。[[7月18日]]、第3回後楽園球場コンサート『[[BIG GAME'80 HIDEKI]]』を開催。[[8月23日]]、第7回大阪球場コンサート『BIG GAME'80 HIDEKI』を開催。[[11月3日]]、第7回日本武道館コンサートを開催。[[11月23日]]、[[東芝日曜劇場]]『遠くはなれて子守唄』
[[1981年]][[1月4日]] - [[1月5日]]、大阪・厚生年金ホールにて新春コンサートを開催。[[4月6日]]、「[[リトルガール (西城秀樹の曲)|リトルガール]]」で30作目のベストテン入り
1981年4月、[[とんねるず]]が初めてレギュラー出演した西城司会の情報番組『[[日本テレビ系土曜7時台情報番組枠#モーニングサラダ|モーニングサラダ]]』
[[1982年]]1月4日 - 1月5日、大阪・厚生年金ホールにて新春コンサートを開催。[[4月13日]]、『ありがとう青春3650日』と銘打ったデビュー10周年誕生日パーティーを[[グランドプリンスホテル赤坂|赤坂プリンスホテル]]で開く。同時に記念作品として「[[南十字星 (西城秀樹の曲)|南十字星]]」が[[3月25日]]に発売され、[[東宝]]創立50周年記念の日豪合作映画「南十字星」の主題歌となった。[[8月21日]]、第9回大阪球場コンサート『BIG GAME '82 HIDEKI』を開催。[[11月21日]]、第9回日本武道館コンサート『[[HIDEKI RECITAL - 秋ドラマチック]]』を開催。
90行目:
[[1983年]][[1月21日]]、芸映を円満独立して「アースコーポレーション」設立。独立第1弾のシングルは「[[ギャランドゥ]]」。 [[8月6日]]、ツアーラストを大阪球場コンサート『[[BIG GAME'83 HIDEKI FINAL IN STADIUM CONCERT]]』で閉め、10年続いたスタジアムコンサートに幕を下ろした。[[11月20日]]、第10回日本武道館コンサートを開催。
[[1984年]][[2月4日]] - [[3月25日]]、「低髄液圧症候群」という病名で[[東京女子医科大学病院|東京女子医大病院]]に入院。{{要出典範囲|[[桃井かおり]]、[[松田優作]]、[[原田芳雄]]が、面会謝絶を突破。[[松田聖子]]も見舞いに訪れた|date={{#time:Y年n月|+9 hours}}}}。[[4月1日]]、「[[Do You Know]]」で『[[第13回東京音楽祭]]』世界大会に出場、初の銀賞を受賞。
1984年[[5月4日]] - [[5月28日]]、7年ぶりとなる日生劇場での主演ミュージカル『デュエット』。共演は鳳蘭。 [[8月7日]]、第11回日本武道館コンサート『[[JUST RUN'84 HIDEKI]]』を開催。20歳代最後のコンサートツアー『JUST RUN』は、コンピューターサウンドにレーザー光線、ターボサウンドスピーカーと当時の[[ハイテク]]を駆使したステージ。[[8月14日]]、[[大阪城ホール]]コンサート『JUST RUN'84 HIDEKI』を開催。
97行目:
[[1985年]][[1月19日]]、シングル盤50曲発売記念・第12回日本武道館コンサート『[['85 HIDEKI Special in Budokan - for 50 songs -]]』を開催。今までのシングル50曲を全部歌った。2月、『[[国際科学技術博覧会|つくば万博]]』開会式で、そのテーマ曲「[[一万光年の愛]]」を皇太子[[明仁|明仁親王]]と[[秋篠宮文仁親王|礼宮文仁親王]]の前で[[NHK交響楽団]]をバックに歌う。
1985年[[9月7日]] - [[9月11日]]、SFX特殊メイクや西城と同じ顔のマスクを付けたダンサーが登場する『MISTY TOUR』を開き、[[香港]]・[[シンガポール]]公演でも話題になった。このツアーのメインアルバム『[[TWILIGHT MADE …HIDEKI|TWILIGHT MADE …]]』は[[角松敏生]]がプロデュースを担当。ジャケ写に西城の姿を使わず、[[アーティスト]]色を出した。[[11月21日]]、「[[腕の中へ|腕の中へ〜In Search of Love〜]]」で[[バリー・マニロウ]]とのデュエットが実現
[[1986年]][[5月17日]]、主演映画『[[傷だらけの勲章]]』が全国公開上映。
103行目:
[[1988年]]、NHK[[みんなのうた]]「陽光の中の僕たち」歌唱。
[[1989年]]6月、主演ミュージカル『[[坂本龍馬]]』の公演。 大阪・[[新歌舞伎座 (大阪)|新歌舞伎座]]で座長公演を開始
[[1990年]]、クイーン・エリザベス3世号
[[1991年]]4月、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系のアニメ『[[ちびまる子ちゃん]]』のエンディングテーマ「[[走れ正直者]]」を担当。[[5月11日]]、[[東京厚生年金会館|東京・厚生年金会館]]でデビュー20周年記念コンサート『[[HIDEKI SAIJO CONCERT TOUR '91 FRONTIER ROAD]]』を開催。初の学園祭ライブを[[早稲田大学]]で行う。この頃からロック・ミュージシャン達が挙って西城のコンサートを観賞に訪れ、「ロック・アーティストの憧れのスターNo.1」と言われるようになる。<ref>西城秀樹オフィシャルサイトの「Music」⇒「
[[1992年]][[4月14日]] - [[9月29日]]、『[[徳川無頼帳]]』で時代劇ドラマ初主演。
122行目:
[[1996年]][[7月3日]] - [[7月14日]]、ロックミュージカルの『D・LIVE [[Rock To The Future]]』に出演。シングル「[[round'n'round]]」で[[音楽番組]]出演時には、D・LIVEで結成されたMillennium Eve(Back-vo.[[杏子 (ミュージシャン)|杏子]]、gt.[[中山加奈子]]、Key.[[中村美紀]]、bs.[[仙波さとみ]]、ds.MITSUKO)をバックに歌った。
[[1997年]][[1月21日]]、25周年を記念して、デビューから現在までのヒストリー・ビデオ『[[HIDEKI SAIJO LIFE WORK 7 TREASURES]]』を発売。[[7月24日]]、子供の頃、ヒデキを見て育ったヒデキ大好きロックミュージシャンが結集して製作した『[[西城秀樹ROCKトリビュート]] KIDS’WANNA ROCK!』が発売される
1997年[[8月6日]]、元[[X JAPAN]]の[[YOSHIKI]]のプロデュースによる「[[moment (西城秀樹の曲)|moment]]」を発売。プライベートな飲み会の席でプロデュースを依頼したところ快く引き受けてくれたと
[[1998年]]4月、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]『[[青春のポップス (NHK総合)|青春のポップス]]』
[[1999年]][[2月7日]]、舞台『[[寺内貫太郎一家]]』に出演
=== 2000年 - 2009年 ===
[[2000年]][[3月31日]]、東京・厚生年金会館にて80曲記念コンサート『[[Bailamos 2000]]』を開催。[[シドニーオリンピック]]・[[サッカー]]日本代表壮行試合にて「[[君が代]]」を斉唱。[[10月17日]]発売の「[[時のきざはし]]」は、RKこと[[河村隆一]]がプロデュースを担当。河村は幼少期に西城に憧れていたこともあり実現。プライベートでも付き合いがある。[[11月28日]]、第12回
[[2001年]][[6月30日]]、大阪在住の一般OLと電撃的に結婚を発表し、[[静岡県]]の神社で挙式
[[2002年]][[4月28日]] - [[5月13日]]、[[新宿コマ劇場]]・[[梅田芸術劇場|梅田コマ劇場]]にて『新・演歌の花道』に出演。「[[2002年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|サンヨーオールスターゲーム]]」のオープニングイベントにて「[[君が代]]」、「[[YOUNG MAN (Y.M.C.A.)]]」を歌唱。
139行目:
[[2003年]][[6月21日]]、ディナーショーのため訪れていた[[大韓民国|韓国]]で[[脳梗塞]]を発症。[[9月1日]] - [[9月13日]]、[[中日劇場]]・[[新宿コマ劇場]]・[[梅田芸術劇場|梅田コマ劇場]]『Forever '70s 〜青春〜 伝説のステージ』出演。
[[2004年]][[3月6日]]、NHKミュージック・イン・ドラマ『ホシに願いを』に出演。[[7月2日]]、当時西城が在住していた[[川崎市]]の市制80周年記念マッチとして開催された[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)2部(当時)の[[川崎フロンターレ]] - [[横浜FC]]戦([[川崎市等々力陸上競技場]]で開催)において[[ハーフタイムショー]]に出演し「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を歌唱<ref>川崎フロンターレ公式サイト 2004年5月22日付お知らせ、「[http://www.frontale.co.jp/info/2004/0522_1.html 「川崎市制80周年記念マッチ」7月2日(金)vs横浜FC イベント開催のお知らせ]」</ref>。以後、2007年<ref>同年は[[川崎麻世]]が出演し「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を歌唱。</ref>を除き2013年まで毎年フロンターレ主催の川崎市制記念試合に出演。10月、著書『あきらめない 脳梗塞からの挑戦』
[[2005年]][[7月1日]]、[[パチスロ]]メーカー「[[オリンピア (パチスロ)|オリンピア]]」から[[タイアップ]]・パチスロ『[[ヒデキに夢中!!]]』がリリース。
150行目:
=== 2010年 - 2015年 ===
[[2011年]][[3月17日]] - [[3月28日]]、[[藤原紀香]]主演のミュージカル『[[マルグリット (ミュージカル)|マルグリット]]』に初の悪役として出演。[[9月30日]]、デビュー40周年記念コンサートを[[渋谷公会堂|渋谷C.C.Lemonホール]]で開催。[[12月20日]] - [[12月30日]]、脳梗塞が再発していることが判明し、東京都内の病院で入院治療する。右半身麻痺の後遺症が残るが、リハビリの結果つえをついて歩けるまで回復。
[[2012年]][[1月28日]]、静岡で行われたチャリティーコンサートに出演。[[6月28日]]、水泳の発展と普及に寄与する人材をたたえる[[日本スイミングクラブ協会]]主催の「[[ベストスイマー賞|ベストスイマー2012]]」を受賞。10月26日、著書『ありのままに 「三度目の人生」を生きる』
[[2013年]][[4月17日]] - [[12月4日]]、[[NHK BSプレミアム]]の料理・紀行番組『[[ぐるっと食の旅 キッチンがゆく]]』に、月1回のレギュラー出演。
[[2014年]][[4月5日]] - [[9月27日]]、[[BSジャパン]]の情報番組『[[ヒデキの感激!NEXTハウス]]』にレギュラー出演。[[8月9日]]、NHKで生放送された第46回『[[思い出のメロディー]]』
[[2015年]][[4月11日]]、[[東京ビッグサイト]]
==特徴==
===アクション===
[[1972年]]、3枚目のシングル「[[チャンスは一度]]」で初めて振付けが付く。[[1973年]]、初のベストテン入りを果たした「[[情熱の嵐]]」ではさらに振付けがエスカレート
===絶唱型===
169 ⟶ 168行目:
===スタジアム・コンサート===
[[1974年]]夏、日本で初めて野球場でのワンマン・コンサート『ヒデキ・イン・スタジアム“真夏の夜のコンサート”』を大阪球場で開く
大阪球場は[[1974年]]より[[1983年]]まで10年連続([[1978年]]から東京の後楽園球場でも開催)と長きにわたり継続。派手な仕掛けに加え、「雨男」と言われるぐらい雨中でのライブも多かった。この1974年の球場ライブで「なにか光るものを用意してきて!」と観客に呼びかけると、それ以降「[[ペンライト]]」というものを、観客が用意するようになった。
===ファン参加型ライブ===
[[1979年]]に発売された「[[YOUNG MAN (Y.M.C.A.)]]」は、[[ヴィレッジ・ピープル]]の曲を[[カバー]]したものである。原曲は[[同性愛|
===アジア進出===
[[1981年]]、亜細亜テレビの[[香港]]音楽祭にスペシャルゲストとして出演。番組視聴率は90%を超えた。[[9月12日]] - [[9月14日]]、香港で初めてのコンサートをクイーンエリザベス・ホールで開催。新聞の見出しはそれまでの「赤旗星
[[1982年]][[9月20日]] - [[9月25日]]、香港にて2回目のコンサートを開催。[[1985年]][[9月7日]] - [[9月11日]]、香港のほか[[シンガポール]]でもコンサートを開催。[[1986年]]、[[シチズンホールディングス|シチズン]]のCMで、海外
[[1987年]][[3月5日]] - [[3月8日]]、[[中華人民共和国|中国本土]]で初のコンサートを[[北京]]・[[首都体育館]]及び[[広州市|廣州]]・中山記念堂で開催。廣州のコンサートは児童福祉会館のエレベーター建設のための[[チャリティー]]・コンサートで、そのエレベーターは「西城号」と命名された。[[3月10日]] - [[5月5日]]、香港で初の主演映画『天使行動
[[1988年]][[9月16日]]、[[ソウルオリンピック]]前夜祭に趙容弼
[[1990年]]、広島・アジア音楽祭『Asian Harmony』を初プロデュースし、出演する。[[チョー・ヨンピル]]など各国からトップ・アーティストを招聘した。1993年にも同種のアジア音楽祭をプロデュースし、出演する。[[1991年]]、[[バングラデシュ]]救援コンサート『俺らだけのヒットパレード』
[[1996年]]、中国[[大連市]]で行なわれた『国際ファッションショー前夜祭』に日本からのゲストとして出演。大連体育場約4万人の前で歌唱。中国全土及びアジア各国にテレビ放映された。
[[1998年]]、「[[日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約|日中友好条約]]締結20周年」のイベントとして、中国の[[万里の長城]]において外国人歌手初の野外コンサートを行う。アジア・ツアーの一環として[[広州市]]・[[珠海市]]でもコンサートを開催。中国唱片廣州公司(CHINA
[[2007年]][[3月22日]]、香港のレコード協会にあたる[[IFPI]]香港の設立40周年記念のイベント『IFPI Top Sales Music Award』に、約35年間の東アジアの音楽業界の成長に大きな影響を与えた海外アーティストとして招かれ歌唱<ref>香港「IFPI Top Sales Music Award」表彰式に出席
[[2012年]][[9月16日]]、ブラジル・サンパウロ
==エピソード==
===人物===
;スポーツマン・夏男
スポーツマンで、小学校の時は[[柔道]]を習い、学生時代の部活動は[[水泳]]部で[[マリンスポーツ]]が得意。全国ネットでテレビ中継された『[[アイドル水泳大会|芸能人水泳大会]]』や運動会では[[競泳]]、[[走高跳]]などで大活躍
「[[情熱の嵐]]」以降、夏をイメージさせるヒット曲が多いこと。その激しく歌い踊る姿や真夏のスタジアムコンサートの熱い印象。『芸能人水泳大会』での活躍、長髪で日焼けした精悍なイメージから「夏男」との異名をとった。また夏に野外で派手に新曲発表会を行うことが多かった<ref>[[1973年]]、「情熱の嵐」の発売時の[[ユネスコ村]]にファンを集めての新曲キャンペーンライブは、空からアクション・スターのように[[ヘリコプター]]につかまりド派手に登場して話題をさらった。[[1976年]]、「[[ジャガー (西城秀樹の曲)|ジャガー]]」のユネスコ村・新曲発表会では、アンコールで興奮して[[ギター]]を叩き割るパフォーマンス。このギターは[[芳野藤丸]]からの貰い物で
;デビュー当時
歌手ではなく[[ドラマー]]になることが夢だった幼少期の心情を大きく変えたのは、テレビで流れた[[尾崎紀世彦]]の「[[また逢う日まで (尾崎紀世彦の曲)|また逢う日まで]]」で、これが歌手となる転機となった<ref>『[[ごきげんライフスタイル よ〜いドン!]]』
若い頃はケンカっぱやく、[[和田アキ子]]と取っ組み合い
;後進タレントの発掘
芸映在籍中は看板スターとして活動すると共に、デビュー間もない1972年夏、事務所関係者と共に[[浅田美代子]]を街頭でスカウト<ref>『[[速報!歌の大辞テン]]』
===TV・CM出演===
;夜のヒットスタジオ
フジテレビ系『[[夜のヒットスタジオ]]』への初出演は[[1972年]][[12月4日]]
[[1984年]][[11月19日]]放送では、[[ワム!]]の「[[ケアレス・ウィスパー|Careless Whisper]]」の[[カバー]]で、「[[抱きしめてジルバ]]」と競作となった[[郷ひろみ]]の「[[どこまでアバンチュール/ケアレス・ウィスパー|ケアレス・ウィスパー]]」と対決した。西城より1か月遅れでリリースした郷の発売時
;バーモントカレーのCM
1973年から12年間、[[ハウス食品]]の「[[バーモントカレー]]」の[[コマーシャルメッセージ|CM]]に出演し"ヒデキ、感激!!"、"ヒデキ、ご機嫌!!"、"ヒデキ、満足!!"など数々の[[キャッチコピー]]がお茶の間の人気を呼び、大人から子供まで幅広い世代の支持を得る。季節に応じて3か月周期でCMの撮影が行われ、その中で西城が発するフレーズもさまざまだったが、特に"ヒデキ、感激!!"という初期の頃のフレーズは、いまだに[[スポーツ紙]]で西城の記事が掲載される際に時折見出しとして登場する。2015年に行われた還暦記念ライブでは、“ヒデキ、カンレキィ~!”の文字を配した還暦お祝いパッケージ<!--パッケージに「還暦お祝いパッケージ」と記載されている-->のバーモンドカレーが来場者に記念品として配られた。
===脳梗塞からの復帰===
[[2003年]]、[[ディナーショー]]のため訪れていた[[大韓民国|韓国]]で[[脳梗塞]]を発症。朝に症状がありながら、その夜のディナーショーをやり通して、さらに空路帰国して入院。懸命の[[リハビリ]]により1か月で復帰会見に臨んだが、実は一部[[声帯]]の神経をやられ、歌手にとっては致命的ともいえる歌どころか言葉自体を正確に発することができない構音障害を発症しており、引退を発表するつもりだったという。「すぐに結論を出さずゆっくり治していけば」という夫人の言葉で、芸能活動を継続しながら回復に励む道を選ぶ。その年『Forever '70s 〜青春〜 伝説のステージ』に出演するも、「ボロボロだった。」と振り返っている。
[[2004年]]、著書『あきらめない 脳梗塞からの挑戦』
しかし、2011年に脳梗塞が再発していることが判明、東京都内の病院で入院する。右半身麻痺の後遺症が残ったが、リハビリに水中運動を取り入れ、筋力をつけることで立つことには支障が無くなり、再びステージに立つまでに回復した。
490 ⟶ 489行目:
== 出演 ==
=== レギュラー番組 ===
* [[寺内貫太郎一家]]
** [[小林亜星]]、[[加藤治子]]、[[樹木希林|悠木千帆]]、[[浅田美代子]]、[[伴淳三郎]]、[[左とん平]]、[[梶芽衣子]]、[[藤竜也]]、[[由利徹]]
* [[寺内貫太郎一家]]
** 小林亜星、加藤治子、悠木千帆、浅田美代子、伴淳三郎、左とん平、[[風吹ジュン]]、[[谷隼人]]、[[池波志乃]]
* [[あこがれ共同隊]]
** [[桜田淳子]]、[[郷ひろみ]]、[[黒柳徹子]]、[[せんだみつお]]、[[三田佳子]]、[[シェリー (タレント)|シェリー]]、浅田美代子、[[山口百恵]](第1回)
* [[花吹雪はしご一家]]
** [[森光子]]、[[荒井注]]、[[加山雄三]]、左とん平、[[相本久美子]]、[[中谷一郎]]、浅田美代子、[[白鳥哲]]
* ロック イン ヒデキ
* [[日曜劇場|東芝日曜劇場]]「翔べイカロスの翼」
* 東芝日曜劇場「遠くはなれて子守唄」
* [[アニメ]]『[[坊つちやん#アニメ|坊っちゃん]]』
* [[日本テレビ系土曜7時台情報番組枠#モーニングサラダ|モーニングサラダ]]
* アニメ『[[姿三四郎#テレビアニメ|姿三四郎]]』
* [[ホームスイートホーム]]
** [[桃井かおり]]、[[松田優作]]、[[藤谷美和子]]、[[南田洋子]]、[[宇野重吉]]、[[前田吟]]、[[安田成美]]
* [[明石貫平35才]]
** [[西田敏行]]、[[江本孟紀]]、[[美保純]]
* [[恋に恋して恋きぶん]]
** [[未唯]]、[[布施明]]、[[仁支川峰子|西川峰子]]、[[朝加真由美]]、[[藤井一子]]、[[保阪尚輝]]、[[森恵 (女優)|森恵]]
* [[キャッツ・アイ#テレビドラマ|CAT'S EYE]]
* [[妻たちの鹿鳴館]]
** [[大原麗子]]、[[小林桂樹]]、[[竹脇無我]]、仙道敦子、[[池内淳子]]、[[山岡久乃]]、[[佐久間良子]]
* [[男と女のミステリー]]「くねり坂」
* [[さよなら李香蘭]]
* 日曜劇場「話してよ、いつものように」
* 三姉妹(TBS
* [[徳川無頼帳]]
* [[系列 (テレビドラマ)|系列]]
* [[TVクルーズ となりのパパイヤ]]
* [[青春のポップス (NHK総合)|青春のポップス]]
** [[西田ひかる]]、[[森口博子]]、[[早見優]]
* [[バブル (テレビドラマ)|バブル]]
* [[日高晤郎の語り芸・江戸人情噺「紺屋高尾」]]
* [[つばさ (2009年のテレビドラマ)|つばさ]]
* [[趣味の園芸 やさいの時間]]
** [[主題歌]]「ベジタブル・ワンダフル」
* [[ぐるっと食の旅 キッチンがゆく]]([[NHK BSプレミアム]]
* [[ヒデキの感激!NEXTハウス]]([[BSジャパン]]
=== ラジオ番組 ===
* ヒデキとこず恵の楽しいデート
* HIDEKIとHIROMIのサンデーワイワイ広場
* ヒデキとケン坊の「鬼さんこちら!!」女の子なんかこわくない
* ラズベリークラブ
* 青春のリターンマッチ
* 毎日が新鮮!西城秀樹です。
=== 映画 ===
* [[としごろ]]
** [[和田アキ子]]、[[森昌子]]、[[村野武範]]、[[山口百恵]]、秋谷陽子、[[堺正章]]、[[夏夕介]]、[[柴本浩行|川口亮]]、[[石川さゆり]]
* ひとつぶの涙
** [[森田健作]]、[[吉沢京子]]、[[水谷豊]]、[[桜田淳子]]、[[森次晃嗣]]、[[田島令子]]、[[高岡健二]]、[[津島恵子]]、[[大村崑]]
* 恋は放課後
** [[松坂慶子]]、[[沖雅也]]、[[石田信之]]、[[秋谷陽子]]、[[川崎あかね]]
* [[しあわせの一番星]]
** [[浅田美代子]]、[[山形勲]]、[[篠ひろ子]]、[[ジャネット八田]]、[[秋野太作]]
* [[愛と誠]]
** [[早乙女愛]]、[[仲雅美]]、[[織田あきら]]、[[高岡健二]]、[[穂積隆信]]、[[鈴木瑞穂]]
* あヽ決戦航空隊
** [[鶴田浩二]]、[[北大路欣也]]、[[松方弘樹]]、[[渡瀬恒彦]]、[[小林旭]]、[[中村玉緒]]、[[檀ふみ]]、[[黒沢年男]]、[[安藤昇]]、[[梅宮辰夫]]、[[池部良]]、[[菅原文太]]
* [[ブロウアップ ヒデキ]]
** 初の全国縦断コンサートの模様が[[演奏会|ライブ]]映像で記録。
* おれの行く道
** [[田中絹代]]、[[池上季実子]]、[[河原崎長一郎]]、[[夏純子]]、片桐夕子
* [[傷だらけの勲章]]
** [[ちあきなおみ]]、[[朝加真由美]]、[[竜雷太]]、[[中村嘉葎雄]]、[[藤代美奈子]]、[[萩原流行]]、[[仲谷昇]]、[[小林昭二]]
* 天使行動
** ムーン・リー、シンシア・ラスター、ジョン・チャン
* [[ザ・ヒットマン 血はバラの匂い]]
** [[中条きよし]]、[[丹波哲郎]]、[[七瀬なつみ]]、[[余貴美子]]、[[片桐竜次]]、[[でんでん]]
* [[現代仁侠伝]]
** [[奥田瑛二]]、[[高橋恵子]]、[[とよた真帆]]、[[石橋蓮司]]、[[宅麻伸]]、[[岡田義徳]]、黒沢あすか、及川麻衣、[[津嘉山正種]]、[[六平直政]]
=== ミュージカル ===
* [[わが青春の北壁/西城秀樹|わが青春の北壁]]
** [[滝田栄]]、[[久野綾希子]]、菅本烈子、三田和代
* デュエット
** [[鳳蘭]]、石丸貴志、小野恵子、[[内田直哉]]、関武雄、奈木隆、本間仁、松沢重雄、大川令於、千葉美香、菅恵理子、藤原満美子
* [[坂本龍馬]]
** [[雪村いづみ]]、[[羽賀研二]]、[[井上純一 (俳優)|井上純一]]
* ラヴ
** [[市村正親]]、[[鳳蘭]]
* [[Rock To The Future]]
** [[橋本さとし]]、[[美香]]、[[芳本美代子]]、[[黒田勇樹]]、オナペッツ、DIAMOND YUKAI、[[杏子 (ミュージシャン)|杏子]]、[[中山加奈子]]、SHIMA-CHANG、MITSUKO、中山美紀、白石紗澄李
* 新・演歌の花道
** [[錦野旦]]、[[川島なお美]]、[[山口智充]]、[[平畠啓史]]、[[鈴木史朗]]、[[藤田憲子]]、[[鶴田さやか]]、音楽プロデュース・[[つんく♂]]
* 伝説のステージ FOREVER'70s-青春-
** 錦野旦、[[桑名正博]]、[[宮川花子]]、[[麻乃佳世]]、[[山崎裕太]]、[[平みち]]、[[朝香じゅん]]
* [[マルグリット (ミュージカル)|マルグリット]]
** [[藤原紀香]]、[[田代万里生]]、[[松原剛志]]、[[飯野めぐみ]]、[[山崎裕太]]、[[横内正]]
=== 舞台 ===
* 花小袖清次
* [[仕立屋銀次]]
* 元禄・暴れん坊
* [[寺内貫太郎一家]]
=== CM ===
606 ⟶ 605行目:
* [[西友]]
* [[バイオテック]]
* [[テレビ新広島]]
**「情熱電波 TSS」
* [[パワードコム|東京通信ネットワーク]]
**「東京電話」
**「東京電話インターネット」
615 ⟶ 614行目:
=== CMソング ===
* ミスティー・ブルー
* 愛の翼
* Blue
* Try
* もいちど
* 愛が止まらない
* [[バンジョーとカズーイの大冒険]]
=== NHK紅白歌合戦出場歴 ===
トップバッター
{| class="wikitable"
|-
!年度/放送回!!回!!曲目!!出演順!!対戦相手!!備考
|-
|[[1974年]]
|-
|[[1975年]]
|-
|[[1976年]]
|-
|[[1977年]]
|-
|[[1978年]]
|-
|[[1979年]]
|-
|[[1980年]]
|-
|[[1981年]]
|-
|[[1982年]]
|-
|[[1983年]]
|-
|[[1984年]]
|-
|[[1994年]]
|-
|[[1995年]]
|-
|[[1997年]]
|-
|[[1998年]]
|-
|[[1999年]]
|-
|[[2000年]]
|-
|[[2001年]]
|-
|}
672 ⟶ 671行目:
!年度/開催回!!回!!受賞曲/候補曲!!賞
|-
|[[1973年]]
|-
|[[1974年]]
|-
|[[1975年]]
|-
|[[1976年]]
|-
|[[1977年]]
|-
|[[1978年]]
|-
|[[1979年]]
|-
|[[1980年]]
|-
|[[1981年]]
|-
|[[1982年]]
|-
|[[1983年]]
|-
|}
749 ⟶ 748行目:
== 出版 ==
=== 著書 ===
*
*
*
*
*
*
*
*
=== 写真集 ===
* 西城秀樹 Young idol now『写真集』
* 西城秀樹写真集
* 季刊ポッポ 75'WINTER 全特集・西城秀樹
* The Young Lion 西城秀樹『写真集』
*
* Hideki
* MY SELF
*
* H45・西城秀樹「独身最後の衝撃」写真集
== 脚注 ==
|