「北欧史」の版間の差分

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第一次世界大戦により北欧諸国は大きな打撃を蒙ったが、直接的な戦災は免れたため、その復興も迅速であった<ref name="tunoda_220">[[#角田1955|角田1955]]、p.220。</ref>。スウェーデンでは短期間に政権が交代する不安定な情勢を迎えたが、[[1932年]]に[[スウェーデン社会民主労働党|社会民主党]]が政権についたことで安定を来した<ref name="murai1_168">[[#村井2009-1|村井2009-1]]、p.168。</ref>。[[:en:Per Albin Hansson|ペール・アルビン・ハンソン]]は「[[国民の家]]」をスローガンに福祉国家の建設を進め、国民全員を恩恵の対象とした普遍主義的社会保障制度の確立を目指した<ref name="murai1_168"/>。デンマークでは[[1915年]]に制定した改正憲法が[[1918年]]になって発効し、男女の普通選挙が実施されるようになった。左派と右派が短期間に入れ替わる混沌とした状態がしばらく続いたが[[1929年]]に[[:en:Thorvald Stauning|トルワード・スタウニング]]が政権につくとようやく情勢が安定し、デンマークに繁栄をもたらした<ref name="tunoda_224">[[#角田1955|角田1955]]、p.224。</ref>。しかし、ノルウェーでは[[:en:Gunnar Knudsen|クヌットセン内閣]]が戦争の終結と同時に復興に乗り出したが労働運動の激化により思うような成果が挙げられずにいた<ref name="tunoda_225">[[#角田1955|角田1955]]、p.225。</ref>。また、[[1919年]]に国民投票で決定した禁酒法の施行に対し、ノルウェーにぶどう酒やシェリー酒を輸出していたスペインやポルトガルが報復的にノルウェーからの輸入を差し止める事態が引き起こされ、ノルウェーの経済に大きな打撃を与えた<ref name="tunoda_226">[[#角田1955|角田1955]]、p.226。</ref>。時の首相はそれぞれの手法で禁酒法の緩和を試みたがその悉くを野党に潰され、景気の回復はままならない状況に陥っていた<ref name="tunoda_226"/>。
 
一方[[ロシア革命]]に乗じて独立を勝ち取ったフィンランドでは、新興国特有の政争は絶えなかったものの、さほど深刻な状況には至らず、順調な経済成長を続けた<ref name="tunoda_251">[[#角田1955|角田1955]]、p.251。</ref>。政府は輸出の増大と食料の自給化を目指した政権運営を実施し、土地改良と農法改革を積極的に推進して、1930年までに自営農民の数を独立当初と比較して倍加させることに成功した<ref name="tunoda_254">[[#角田1955|角田1955]]、p.254。</ref>。1920年代末に入り、世界的な不況と不安定な政権から左右両勢力が伸張しはじめ、[[1929年]]に[[共産青年同盟]]{{要曖昧さ回避|date=2016年2月}}が結成されるとこの気勢に拍車がかかった<ref name="tunoda_260">[[#角田1955|角田1955]]、p.260。</ref>。国内は大きな混乱に見舞われたが[[ペール・スヴィンヒュー]]が[[1931年]]に大統領に就任して以降、国民が一致団結して国防の強化と産業の振興に注力できるような舵取りを行い、フィンランドの国力は著しく躍進した<ref name="tunoda_262">[[#角田1955|角田1955]]、p.262。</ref>。[[1935年]]にスウェーデン、デンマーク、ノルウェーと協定して北欧中立ブロックを形成すると周辺国への配慮から[[ファシズム]]は鳴りを潜め、ようやく政情は安定化した<ref name="tunoda_262"/>。
 
また、[[バルト三国]]を構成する[[エストニア]]、[[ラトビア]]、[[リトアニア]]もフィンランドと同じくロシア革命を契機に独立を果たした。第一次世界大戦と独立戦争により疲弊した国土の上に立った独立ではあったが、農地改革を緊急的に実施していくことで短期間で驚くべき国力の回復を見せた<ref name="tunoda_273">[[#角田1955|角田1955]]、p.273。</ref>。しかしながら政情不安は解消されることのないまま、[[第二次世界大戦]]へと巻き込まれていくことになる。