「佐川一政」の版間の差分

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[[1984年]](昭和59年)に日本へ帰国し、精神病院である[[東京都立松沢病院]]に入院した。同病院での診察では、佐川は人肉食の性癖は持っておらず、フランス警察に対する欺瞞であったという結論であった。副院長の金子嗣郎は、“佐川は精神病ではなく[[人格障害]]であり、[[刑事責任]]を問われるべきであり、フランスの病院は佐川が1歳の時に患った腸炎を脳炎と取り違えて、それで誤った判断を下したのではないか”としている<ref>『Tokyo Journal』1992年9月号</ref>。日本警察もまったく同じ考えであり、佐川を逮捕して再び裁判にかける方針であったが、フランス警察が「不起訴処分になった者の捜査資料を引き渡すことはできない」として拒否した。
 
同院を15月で退院した佐川は、マスコミに有名人として扱われ、小説家になった。その頃、日本の病院と警察がそろって刑事責任を追及すべきという方針であったのに、フランス警察の方針により、それが不可能になったことから、社会的制裁を受けるべきだという世論が起きた<ref>『週刊マーダーケースブック』2号、[[デアゴスティーニ]]、1995年</ref>。両親もこの事件の結果、父親は会社を退職することになり、母親は神経症の病気を患ったという。
 
社会復帰後、[[1989年]]([[平成]]元年)の[[宮崎勤]]逮捕では、猟奇犯罪の理解者として[[マスコミ]]の寵児となり、忙しい時は月刊誌や夕刊紙など4紙誌に連載を持っていた<ref name="shincho">『[[週刊新潮]]』[[2006年]][[2月23日]]号。</ref>。印税収入だけで100万円に達した月があった他、講演やトークショーにも出演して稼いでいた<ref name="shincho"></ref>。また、1本30万円のギャラで[[アダルトビデオ]]に出演していたこともある<ref name="shincho"></ref>。しかし[[2001年]](平成13年)頃までにはほとんどの仕事が途絶え、生活に困って闇金に手を出すようになる<ref name="shincho"></ref>。「全然ぼくは反省しなくて、相変わらず白人女性と付き合う、それにはお金が要るというんで、初めのうちは親父の財布から万札を一度抜いたぐらいですけど、だんだんデッドヒートして、弟のチェロを売り飛ばしたり、絵を売り飛ばしたり、最後には(クレジット)カードまで使って」と自ら語っている<ref name="vice">[http://www.youtube.com/watch?v=TWPyr3hpxZs VICE Japan 佐川一政 人を食った男 2/2]</ref>。[[1993年]]に知り合ったドイツ人男性から白人女性2名を紹介され、肉体関係を持たぬまま金蔓として利用され、共に海外旅行を楽しんだが、やがて佐川の過去が露見したために絶交された、という<ref name="vice" />。
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*『カニバリズム幻想』北宋社、1991
*『蜃気楼』河出書房新社、1991
*『喰べられたい 確信犯の肖像』ミリオン出版、1993
*『華のパリ愛のパリ 佐川君のパリ・ガイド』アイピーシー、1994
*『少年A』ポケットブック社、1997
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*『業火』作品社、2006
*『極私的美女幻想』ごま書房、2008
*『新宿ガイジンハウス』作品社 2012
=== 共著 ===
*『狂気にあらず!? 「パリ人肉事件」佐川一政の精神鑑定』[[コリン・ウィルソン]]、[[天野哲夫]] 第三書館、1995
*『饗 カニバル』コリン・ウィルソン [[柳下毅一郎]]翻訳・構成 竹書房、1996
*『パリ人肉事件 無法松の一政』[[根本敬]] 河出書房新社、1998
 
== 出演 ==
* [[お天気お姉さん (漫画)|お天気お姉さん]] (1995-04-25・[[バンダイビジュアル]])※[[オリジナルビデオ]] 
* 実録SEX犯罪ファイル (1998-05-12・[[宇宙企画]])※[[アダルトビデオ]]
* [[神様の愛い奴]](1998-07-18・ロフト・シネマ)※[[ドキュメンタリー映画]]
* エロのから騒ぎ 〜Much Ado About Eros〜 第2期生 (2003-08-24・V&R)※アダルトビデオ 
 
== 脚注 ==