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『'''アンドロイドは電気羊の夢を見るか?'''』(アンドロイドはでんきひつじのゆめをみるか、原題: ''{{en|Do Androids Dream of Electric Sheep?}}''、 [[1968年]])は、[[フィリップ・K・ディック]]の[[サイエンス・フィクション|SF小説]]。[[日本語]]版は[[1969年]]([[昭和]]44年)に[[浅倉久志]]の訳で[[ハヤカワ・SF・シリーズ]]から刊行され、後に[[ハヤカワSF文庫]]に収められた。
 
== 概要 ==
[[第三次世界大戦]]後の[[未来]]、[[サンフランシスコ]]を舞台に[[バウンティハンター|賞金稼ぎ]]のリック・デッカードが、[[火星]]から逃亡してきた8体の[[人造人間|アンドロイド]]を「処理」するというあらすじ。電気動物やムードオルガン、マーサー教などディック独自の[[世界観]]の上に描かれている。この世界では[[自然]]が壊滅的打撃を受けているために、生物は[[昆虫]]一匹と言えども法によって厳重に保護されている。一方で[[テクノロジー|科学技術]]が発達し、本物そっくりの機械仕掛けの[[生物]]が存在している。そしてその技術により生み出された[[人造人間]][[感情]][[記憶]]も持ち、自分自身ですら自分が機械であることを[[認識]]できないほどのものすら存在している。主人公<!--リック-->は、他者への[[共感]]の度合いを測定するテスト「フォークト=カンプフ感情移入度測定法」によって人造人間を判別し、廃棄する賞金稼ぎである。この世界での生物は無条件の[[保護]]を受ける一方で、逃亡した人造人間は発見即廃棄という扱いとなっており、主人公のような賞金稼ぎの生活の糧となっている。
 
題名は、一見すると奇妙な問いかけの形式がとられている。<!--(コメントアウトby電気山羊:彼の希望は生きた本当の、それは電気動物に比べて非常に高価な、動物を飼うことでした。むしろ電気羊を飼っていることにデッカードはコンプレックスを抱いています。最後に懸賞金で黒山羊を買いますが、レイチェルによって殺されてしまう)これは作中人物の「[[夢]]」が荒廃した世界で電気羊のような電気動物によって癒されたい(または高価な電気動物である電気羊が買えるほどの富裕層になりたい)、というものであり、そうした感情移入こそがこの作品世界での人間と人工知能の唯一の境界とされていることに関係している。-->主人公は人造人間を処理していく中であまりに[[人間]]らしい人造人間と出会い、人間と人造人間の区別を次第に付けられなくなってゆく。人間とは何か? 人間と[[人工知能]]の違いは? 作品の根源的な思想を素朴な問いかけに集約した、主人公のこの一言が、そのまま本作品の題名となっている。また特徴のあるこの題名は、「アンドロイドは電気『**』の夢を見るか?」や「『**』は『**』の夢を見るか?」(**に任意の単語を入れたもの)といった体裁の数多くの[[パロディ]]を生んだ。
 
本作は[[1982年]]に公開された映画『[[ブレードランナー]]』の原作となった。監督は[[リドリー・スコット]]、主人公のリック・デッカード役は[[ハリソン・フォード]]が務め、高い評価を得た。