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[[桜丘中学校・高等学校 (愛知県)|桜丘高等学校]]在学中に陸上競技から自転車競技に転向し、卒業後は[[日本競輪学校]]に入学する。[[1995年]][[4月8日]]、[[岐阜競輪場]]でデビューし9着。トップクラスの選手として確立するのに時間がかかったが、[[2002年]]の[[朝日新聞社杯競輪祭|競輪祭]]で決勝進出(6着)を果たすと、[[2004年]]4月に[[佐世保競輪場]]で開催された[[ふるさとダービー]]決勝では、逃げる[[井上昌己 (競輪選手)|井上昌己]]をバックストレッチから捲りきって優勝し、初めてGIIを獲得した。
 
その後、下記のように[[自転車競技]]での[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]出場を逃したことを契機に、競輪選手のトレーニングとしては珍しい、高地トレーニングを取り入れるなどして、なおかつ肉体改造にも努めた結果、[[2005年]]のシーズンは選手生活のピークを迎えた。9月に[[名古屋競輪場]]で開催された[[オールスター競輪]]決勝では、ホームから果敢に逃げて、[[神山雄一郎]]に続いて2着。この他同年のふるさとダービー(豊橋)、[[共同通信社杯競輪|共同通信社杯]]([[松山競輪場|松山]])、[[全日本選抜競輪]]([[岸和田競輪場|岸和田]])でも決勝進出を果たした。
 
[[2008年]]には、[[京王閣競輪場]]で行われた[[国際競輪#ワールドグランプリ|ワールドグランプリ]]で、[[永井清史]]の番手から抜け出し勝利している。