「普天間飛行場」の版間の差分

== 地理 ==
[[ファイル:Futenma airport runway.JPG|thumb|left|200px|普天間飛行場]]
宜野湾市は[[沖縄本島]]中部、[[那覇市]]の北約10kmにある。[[普天間]]は宜野湾市の地名から命名。普天間飛行場(FAC6051)は[[宜野湾市]]大山二丁目に所在しており、その面積は約4.8km<sup>2</sup>である(宜野湾市[[野嵩]][[新城]][[上原]][[中原]]・赤道・[[大山]][[真志喜]]・字宜野湾・大謝名にまたがる)。これは宜野湾市の面積(19.5km<sup>2</sup>)の約25%にあたる。普天間飛行場を見渡せる場所として、[[佐喜眞美術館]]や[[嘉数|嘉数高台公園]]などがある。宜野湾市は過去に発行した広報資料にて[[那覇都市圏]]を構成する沖縄県の中でもっとも人口が過密な地帯の一部であり、普天間飛行場、[[キャンプ瑞慶覧]](FAC6044、面積:160ha)、陸軍貯油施設(FAC6076、面積2ha)を除くと使用可能な市域の面積が1294haとなり、1995年の時点で人口密度(約6252人/km<sup>2</sup>)になると説明している<ref>人口密度についての説明は『普天間飛行場の早期返還を求めて』宜野湾市 1995年5月</ref>。これは、[[横田飛行場]]周辺自治体の人口密度に概ね相当する。
 
基地の周りに住宅地が密集している状況にあり、[[朝日新聞社]]発行の『[[知恵蔵]]』では「世界一危険な基地」とされているが<ref name="kb" />、これについては二つの側面がある。ひとつは、普天間基地の周辺は[[沖縄戦]]での激戦地区で、戦後は、日米両軍の[[不発弾]]の埋もれた危険地域であり、米軍により不発弾処理がなされたあと、民間人の収容所として確保された点である(もともとの住民が戻ってきただけという話もある<ref>[http://blogos.com/article/140776/ 沖縄メディアが報じない不都合な真実を知れ! - ロバート・D・エルドリッヂ☓佐藤守対談]BLOGOS版JAPANISM</ref>)。もうひとつは、基地建設後、本土復帰以降に顕著となった日本政府の[[思いやり予算]]に則した基地行政などにより、周辺住民が基地に依存した地域社会を形成し現在のような住宅密集地域となったという意見もあるが、那覇市のベッドタウンとして発展しており、那覇へ近い南西側の海浜地区の発展が著しく、普天間基地は市の発展に地勢的に蓋をしている現状がある。