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== F1におけるピレリ ==
=== 第1期活動 (1950年 - 1958年) ===
[[Image:Alfa-Romeo-159-(1951).jpg|thumb|right|250px|'''Tipo158'''の名で親しまれる[[アルファロメオ・158|アルファロメオ・158/159 アルフェッタ]]。草創期のF1に対してピレリはタイヤを供給した。]]ピレリは[[1950年]]にF1世界選手権が開催された当初から参入したタイヤサプライヤーの1つでもある。[[アルファロメオ]]、[[マセラティ]]、[[フェラーリ]]などイタリアチームに対してタイヤを供給した。当初は[[インディ500]]以外のほぼ全てのレースでピレリタイヤ勢がレースを専権した。(※:当時のF1ではチャンピオンシップとしてはインディ500も含まれていた。)、しかし当時のトップドライバーであった[[ファン・マヌエル・ファンジオ]]が[[1954年]]の[[フランスグランプリ]]より[[メルセデス・ベンツ]]に移籍すると、メルセデスが使用していた[[コンチネンタル (自動車部品製造業)|コンチネンタル]]が専権するようになる。ファンジオは1956年にフェラーリに移籍し、ピレリタイヤによる勝利も元のように大半を占めるようになるが、1958年からフェラーリに[[ベルギー]]のタイヤメーカーである[[エンゲルベール]]が独占供給。さらにイギリスの有力チーム[[ヴァンウォール]]もピレリから[[ダンロップ]]へタイヤ供給を変更した。また、他の有力チームである[[クーパー (F1)|クーパー]]もコンチネンタルやダンロップのタイヤを使用するに至ったため、1勝もすることができなかった。
 
ピレリの第1期活動はこの年で終了する。