「普天間飛行場」の版間の差分
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本飛行場に関わる主な(これらは墜落ないし死亡を伴う)航空機墜落事故は次のとおりである。この他にも機体トラブルによる緊急着陸や不時着などがある<ref>事故の一覧参照に当たっては[http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=14&id=6981&page=1 5.過去の航空機関連事故] 沖縄県知事公室基地対策課<br />普天間関係事故の抜粋に当たっては下記を参照<br />仲里嘉彦「第四部 普天間飛行場海兵隊航空基地の経緯」『普天間飛行場=下地島空港移設が地域繁栄の切札』</ref>。復帰以降の事故発生件数についての統計は2002年12月末時点で固定翼機8件、ヘリ69件の計77件であり、復帰後から同時点までの沖縄県内米軍航空機事故217件の内35.5%を占める<ref>事故統計についての出典は仲里嘉彦『普天間飛行場=下地島空港移設が地域繁栄の切札』P58-59</ref>。この間の死亡者は全て米兵であるが、民間人の死亡者を伴うような重大な事故の危険性が指摘されてきた。
*[[1973年]]8月2日 - 第36海兵航空群第164ヘリ中隊所属のCH-46の内1機が、北部訓練場内の[[国頭村]][[伊湯岳]]頂上付近で墜落。乗員3名死亡1名行方不明。
*1973年12月5日 - 第36海兵航空群第164ヘリ中隊所属のCH-46の内1機が、[[西原村]]字小那覇の社屋新築現場付近に墜落し、乗員4人死亡。1人重傷。救難活動に当たった社員1人が軽傷。また社員の乗用車が破損、きび畑20坪を焼いた。
*[[1975年]]6月24日 - 第164ヘリ中隊所属のCH-46の内1機が、[[北部訓練場]]内の[[国頭村安波ダム]]建設現場の工事資材運搬用[[ワイヤ|ワイヤーロープ]]に接触し墜落。乗員3名死亡。
*[[1976年]]11月4日 - 第462大型ヘリ中隊所属の[[CH-53 (航空機)|CH-53]]が[[久米島]]から那覇向け飛行中、エンジン故障のため[[渡嘉敷村]]の[[ナガンヌ島]](俗称砂島)付近の海上(那覇西方16km)に墜落。乗員4名(全員)行方不明。
*[[1978年]]3月3日 - 第164海兵中型ヘリ中隊所属のCH-46の内1機が、山口県[[岩国飛行場|岩国基地]]へ向け飛行中、[[キャンプ瑞慶覧]][[ハンビー飛行場]]の北方150mの沖合いに墜落。乗員4名全員死亡。
*[[1980年]]10月2日 - 第36海兵航空群所属の[[OV-10 (航空機)|OV-10]]の内1機が、離着陸訓練中滑走路上に墜落し乗員1名が死亡。
*1980年12月19日 - 第161海兵中型ヘリ中隊所属のCH-46の内1機が、訓練中、原材搬出用ワイヤーに接触、北部訓練場内の安波ダム貯水予定地域に墜落、乗員3名の内1名死亡、2名重傷。
*[[1985年]]7月12日 - 第361海兵重ヘリ中隊所属のCH-53Dが2機で編隊飛行訓練中、1機が国頭村の[[辺野喜ダム]]付近の林道に墜落。乗員4名(全員)死亡。付近の植林50坪が焼ける。
*[[1988年]]10月31日 - 第262中型ヘリ中隊所属のCH-46の内2機が空中接触し1機が[[伊湯岳]]東側の山林に墜落、大破炎上。乗員4名が死亡。もう1機は損傷しつつも普天間に帰還。
*[[1989年]]5月30日 - 第265海兵中型ヘリ中隊所属のCH-46が夜間上陸演習に参加中、1機が[[揚陸艦]][[デンバー (ドック型輸送揚陸艦)|デンバー]]から離陸直後[[喜屋武岬]]の南32kmの海上に墜落。乗員22名中14名が行方不明。8名救助。
*[[1994年]]4月6日 - 第262中型ヘリ中隊所属のCH-46Eの内1機が、不時着訓練中に施設内に墜落。胴体が2つに裂けたが乗員4名は脱出。
*1994年11月16日 - 第267海兵軽攻撃ヘリコプター中隊所属のUH-1Nの内1機が演習中に[[キャンプ・シュワブ]]へ墜落。乗員1名が死亡、4名重軽傷。
*[[1998年]]7月23日 - [[キャンプ・ハンセン]]内で、海兵隊所属のUH-1Nの内1機が墜落。乗員4名が軽傷。
*[[1999年]]4月19日 - 海兵隊所属のCH-53Eのの内1機が北部訓練場の沖合に墜落。乗員4名が死亡。
*[[2004年]]8月13日 - 海兵隊所属のCH-53Dの内1機が、普天間飛行場に隣接する[[沖縄国際大学]]の構内に墜落。乗員3名負傷。民間への人身被害はなし。社会問題として大きく取り上げられる(詳しくは[[沖国大米軍ヘリ墜落事件]])。
==== 燃料漏れ ====
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