「源頼義」の版間の差分

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=== 永衡誅殺と経清出奔 ===
戦役の再開後に微妙な立場に置かれる事となったのが、頼義の幕下でありながら頼時の娘婿でもあった[[藤原経清]]と[[平永衡]]であった。特に永衡は前任の陸奥守・藤原登任が安倍氏懲罰を行った際に賊軍側に走った過去があったため周辺から疑いの目で見られていた。官軍が衣川まで辿り着いた時、ある者が頼義に「永衡は前国守(登任)様から厚く眼を掛けて頂いていたにも関わらず、賊軍に走った不義不忠の輩です。今は将軍(頼義)に従う素振りを見せてはいますが、腹の中では何を諮り巡らせているか知れたものではありません。しかもあの者の鎧は我が官軍の者とは違った色をしております。漢の黄巾賊や赤眉賊の例を見ても、装備の色や形で敵味方を判断していたといいます。これを見ても永衡が二心を抱いているのは明らかで、災いが起こる前に早くあの者を取り除くべきです」と進言し、頼義も「もっともな事である」として、この進言を入れて永衡を誅殺した。これによって疑心暗鬼となったのが相婿の藤原経清であった。経清は親しき知人に「義理の兄弟であった十郎(永衡)が将軍に誅殺されてしまった。昔、漢の[[韓信]]や[[彭越]]が[[劉邦|高帝]]から誅殺された時、二人の同僚の[[英布
|黥布]]は背筋が凍ったというが、今の私はまさにその心境だ。どうしたらいいだろうか」と尋ねると、知人は「恐らく将軍は貴殿を信用しないでしょう。そして必ず御身に災いが起こるに違いありません。貴方は災禍が降りかかる前に舅殿(頼時)の元へ走るのが賢明でしょう」と答えたため、経清は「その通りだ」として私兵を率いて賊軍へ走ってしまった。平永衡が真に二心を抱いていたかは不明であるが、これにより頼義は立て続けに有力な幕僚を失い、戦役は泥沼化の様相を呈してくることになった。
 
=== 頼時討死 ===