「川口市」の版間の差分

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[[荒川 (関東)|荒川]]を隔てて[[東京都]]と接しており、東京に通勤・[[通学]]するいわゆる「[[埼玉都民]]」が多く、市内の広範に[[住宅地]]が広がる。[[東京駅]]からの距離が[[大田区]]と同じ15km圏([[蒲田駅]]まで14.4km、[[川口駅]]まで15.8km)に位置している
 
川口における市街の形成は、[[江戸時代]]に[[日光御成街道]]の[[宿場]]がおかれていた川口宿(現:本町一丁目周辺)に端を発する。近代以降は、中心部において既に地場産業として成立をみていた[[鋳物]]工業が、旧川口宿の東側・北東側を中心に集積・拡大をみせ、川口は工業都市としての発展をみた。その一方、東京の都市域の拡大に伴い、宅地化も急速に進展した。近年、鋳物工場は新郷地区等への移転や廃業に伴い、中央地区周辺では往事に比べて大幅に減少しており、今ではほとんどその姿は見られない。このような鋳物工場の跡地の多くでは、その後集合住宅をはじめとする中高層の建築物が建てられており、街の風景は大きな変容を見せている。また、川口市で地理的な中央部にある鳩ヶ谷地域には、江戸時代の旧鳩ヶ谷宿という川口市の中央地区における旧川口宿とは異なる歴史や伝統があり、[[鳩ヶ谷駅]]東口の鳩ヶ谷本町付近においては歴史的な建築物や町並みが現在でも残存している。人口増加による無秩序な市街地拡大を防ぐため、芝地区や戸塚地区では[[区画整理事業]]が進んでいる([[埼玉県の土地区画整理事業一覧]])
 
== 地理 ==