「片岡仁左衛門 (11代目)」の版間の差分

研究熱心な面もあり、「[[摂州合邦辻]]」の「庵室」の一段はそっくり暗記しており、一般客相手にじっくりと浄瑠璃を聴かせて感動させるほどの腕前であった。が、これが高じて失敗することもあった。あるとき、玉手御前を演じる三代目雀右衛門に「なあ、京屋、合邦庵室をやるなら院本(浄瑠璃本)どおりにやってみよか。」と[[文楽]]による原作尊重の演出を呼び掛けたが、雀右衛門に謝絶され立腹。舞台でほとんど演技をせず最後の割台詞では、後見にいた[[食満南北]]から脚本を取り上げ、「ええっと・・・なんや読みにくい字やなあ・・・『東門通りをまっすぐに』か。」と読み上げて芝居を壊してしまう事件を起こした。
 
初代鴈治郎とは前述の理由で一時袂を分かったが、晩年は和解した。[[片岡仁左衛門 (13代目)|十三代目片岡仁左衛門]]は、その著書『仁左衛門楽我記』の中で次のように述懐している:「あれは父のなくなる前の年でしたか、父が近々引退するらしいと言ううわさがたったことがありました。それを大阪で聞いたおじさん(初代鴈治郎)は、(中略)すぐその足で明舟町の家へ来られ『引退するてほんまか。引退なんかしたらあかん。体もよわるし、今からやめてどうするのや。もっともっと働いてくれな、どもならん』とまるで怒っているような語気で父に説いていられた姿が、今もまぶたに残っています。『せえへん、せえへん』と笑いながら答える父に、やっと安どしたように四方山の話をして、定宿の築地の細川に帰られたのは十時近かったと思います」(昭和57年、三月書房)
 
==芸風==
匿名利用者