「後水尾天皇」の版間の差分

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== 諡号・追号・異名 ==
[[諡#追号|遺諡]]により後水尾と追号された。水尾とは[[清和天皇]]の異称である。後水尾天皇は、不和であった父・[[後陽成天皇]]に、乱行があるとして退位に追い込まれた[[陽成天皇]]の「陽成」の[[加後号]]を贈り、自らは陽成天皇の父であった清和天皇の異称「水尾」の加後号を名乗るという意志を持っていたことになる。このような父子逆転の加後号は他に例がない。[[徳川光圀]]は随筆『西山随筆』で、兄を押しのけて即位したことが清和天皇と同様であり、この諡号を自ら選んだ理由であろうと
推測している<ref>熊倉、32p</ref>。遺諡は、[[鎌倉時代]]の[[後嵯峨天皇]]から[[南北朝時代 (日本)|南北朝]]・[[室町時代]]の[[後小松天皇]]にかけて多くあったが、その後7代にわたって絶えており、後水尾天皇の遺諡は後小松天皇以来約2世紀ぶりである。このことからも後水尾天皇の強い意志が伺われる。また、[[清和源氏]]を称する[[徳川氏]]の上に立つという意志も見て取れる。なお、「後水尾」の読み方については、現在の[[宮内庁]]は「ごみずのお」としているが、江戸時代中期の[[故実]]学者[[伊勢貞丈]]は「ごみのお」が正しいとしている<ref>熊倉(2010)p. 6。 </ref>
 
== 逸話 ==