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'''植村 寿朝'''(うえむら ひさとも、[[元文]]元年([[1736年]]) - [[宝暦]]3年[[10月9日 (旧暦)|10月9日]]([[1753年]][[11月3日]]))は、[[上総国|上総]][[勝浦藩]]の嫡子。[[出羽国|出羽]][[庄内藩]]主・[[酒井忠寄]]の四男。勝浦藩3代藩主・[[植村恒朝]]の娘と婚約し、その養子となる。
 
[[寛延]]4年([[1751年]])8月に養父が[[改易]]されたため、寿朝も連座して処罰されたが、宝暦3年(1753年)に罪を許され2,000俵取りの[[小普請]]として家名再興を果たした(植村五郎八家)。しかし、同年18歳で早世した。その後は、[[末期養子]]の[[植村泰高]]([[内藤正熹]]の子)が継いだ。