「北条基時」の版間の差分

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曖昧さ回避処理: 乾元乾元 (日本), 延慶延慶 (日本)
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元弘3年/正慶2年(1333年)5月、[[後醍醐天皇]]の倒幕計画から[[元弘の乱]]が起こり鎌倉幕府に反旗を翻した[[新田義貞]]らが[[上野国|上野]]で挙兵して鎌倉に攻め上ってくると、金沢越後左近大夫将監や[[安房国|安房]]・[[上野国|上野]]・[[下野国|下野]]の[[御家人]]らと共に[[化粧坂]]の守備を務めた<ref>『金沢貞顕』〈人物叢書〉147頁・148頁。</ref>。基時はよく防衛したが5日間の激戦の末に[[極楽寺坂]]や[[巨福呂坂]]など別の攻め口から突破した新田軍が鎌倉市街に侵入したため<ref>『金沢貞顕』〈人物叢書〉150頁。</ref>、この合戦の2週間前に[[近江国|近江]]番場で自害した嫡子の仲時の後を追うように残った部下と共に自害した<ref name="鎌倉・室町p555"/><ref>『金沢貞顕』〈人物叢書〉148頁・150頁。</ref>。享年48。
 
辞世のは「待てしばし、死出の山辺の、旅の道、同く越て、浮世語らん」であり、この歌は先に自刃した仲時の事を思って詠じたと言われる<ref name="鎌倉・室町p555"/>。
 
== 経歴 ==