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== 略歴 ==
京都市出身。芸能好きの母親が、はるみが5歳の時から[[日本舞踊]]と[[バレエ]]を習わせ、6歳の6月6日から母親自ら浪曲と民謡を教え始める。[[洛陽総合高等学校|洛陽女子高等学校]]の当時の学校長の話によればいきなり「歌手になります!」と言って中退したそうである。当時似たような若者は多く、そのうちの一人としか思っていなかったが大成功した。在学当時から歌ばかり歌っていて成績はかんばしくなかったと言われている。父親は[[在日韓国・朝鮮人|在日韓国人]]<ref name = "KOREAN">[https://twitter.com/aritayoshifu/statuses/475617646709186560 有田芳生 ‏@aritayoshifu 2014年6月8日21:37のツイート]</ref>
 
[[1964年]]、「困るのことヨ」で、デビュー。同年「[[アンコ椿は恋の花]]」が[[ミリオンセラー]]になる大ヒット、[[第6回日本レコード大賞]]・新人賞を獲得する。「はるみ節」と呼ばれる、うなり声のような力強いこぶし回しや、波打つような深いビブラート<!--と繊細な歌唱法-->が独特で、<!--幅広い表現力を持つ。-->昭和40年代〜50年代にかけて数多くのヒット曲を生み、名実ともに日本を代表する女性演歌歌手となった。
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[[2008年]]、デビュー45年目を迎え、「3大劇場座長公演」を行った。個人事務所の社長で長年私生活でもパートナーであった[[中村一好]]が死去<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20080408-345547.html 都はるみの恋人、中村一好さん急死 - 芸能ニュース : nikkansports.com]</ref>。[[2009年]]、個人事務所の「プロデュースハウス都」から、古巣の「[[サンミュージックプロダクション]]」へ復帰した。
 
[[2005年]]、[[芸術選奨]][[文部科学大臣賞]]を受賞。[[2010年]]、[[紫綬褒章]]を受章。
 
[[2015年]][[11月24日]]、[[東京国際フォーラム]]での全国ツアー最終日に、翌[[2016年]]の1年間単独コンサート活動を休止することを発表<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/11/25/kiji/K20151125011571610.html 都はるみ、コンサート活動休止…復帰25年の節目「一生懸命、充電」 - 芸能ニュース : Sponichi Annex]</ref>。
 
== エピソード ==
父は[[在日韓国・朝鮮人|在日韓国人]]で、このことは1969年に[[週刊平凡]]において、はるみの母がインタビューに答える形で公表<ref>[http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000229649-00 週刊平凡 11(45)]</ref>。だが反響が大きく取材が殺到、仕事に影響が出ると考えた母はこれ以降、取材を受けなくなった <ref name=park>[[朴一]] 『僕たちのヒーローはみんな在日だった』 [[講談社]] 2011年 173頁 ISBN 9784062168854</ref>。それから7年後、レコード大賞を受賞した際にはそういった出自の人間がレコ大をとっていのかいうというバッシングも一部では見られ、賞を辞退しようかとも悩んだという<ref name=park/>。
 
京都出身であることにちなんで当初は「京はるみ」という芸名でのデビュー予定だったが、既に他社で同名の歌手がいると分かり「都はるみ」に変更された<ref>[http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2008/03/post_e025.html 有田芳生の『酔醒漫録』2008年3月30日付]</ref> <ref>のちに映画[[男はつらいよ 旅と女と寅次郎]]では「京はるみ」役を演じている</ref>。
 
[[有田芳生]]とは、有田の『歌屋都はるみ』(1994年刊行)の取材および執筆を機に親しくなり、都の公式サイトでは有田を「都はるみの大親友」としている<ref>[http://miyakoharumi.net/link10.htm 都はるみホームページ「リンク」]</ref>。[[中村一好]]の死去の際、有田は中村を「兄のような存在だった」と述べている<ref>[http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2008/04/post_0ff8.html 有田芳生の『酔醒漫録』2008年4月8日付]</ref>。2014年6月8日、有田は自身のTwitterで「都はるみの父親が[[韓国人]]」とツイートした<ref name = "KOREAN" />これに対しTwitter上で「都はるみさんの父親が韓国人なんて初めて知ったんですけど 有田議員が勝手にプライベートを暴露していいんですか?」<ref>[https://twitter.com/Bloomania17/status/477292496490225664 有田芳生へのリプライ]</ref>との批判と質問がなされたが、それに対する回答はしなかった
 
当時[[西郷輝彦]]のマネージャーをしていた[[相澤秀禎]]は「アンコ椿は恋の花」が大ヒットし、[[日本レコード大賞|レコード大賞]]に出演していた都を見て、今まで味わったことのない「気」、「[[オーラ]]」を感じ、是非ともマネージメントしたいと思ったという。都の母に毎晩電話するなどしてアプローチしたこともあり、約9年後に都は相澤の「[[サンミュージック]]」に所属することになった<ref name="ninkidukrinohousoku"/>
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* [[有田芳生]]
* [[中上健次]]
* [[井上宗孝とシャープファイブ]]
 
== 外部リンク ==