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[[1883年]]([[明治]]16年)に東京の上野公園で「第一回水産博覧会」で、[[1908年]](明治41年)に「大日本水産会第一回鰹節即売品評会」が開催されるなど、各地で鰹節の品評が行なわれ、東の焼津節・西の土佐節の品質が高く評価された。
 
明治以降、[[尖閣諸島]]の[[魚釣島]]や日本が[[国際連盟]]の[[委任統治領]]としていた南洋諸島(南太平洋[[ミクロネシア]]の島々)や[[20世紀]]に日本が統治をしていた[[台湾]]でも製造されるようになった。特に南洋ものは安価であったことから大いに市場を拡大したが、南洋諸島が第二次世界大戦後に日本の統治を離れたことで、この地域での鰹節産業は終焉を迎えた。しかし、台湾では、日本食品として鰹節の利用も根付いた。「柴魚」と呼び、現在も東部の[[台東県]]や[[花蓮県]]で製造されており、[[麺線]]などの[[台湾料理]]の[[スープ]]を取るのにも用いられる。花蓮県[[新城郷]]には「七星柴魚博物館」という鰹節をテーマにした[[博物館]]がある。
 
=== モルディブ起源説 ===
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