「日立製作所本社サッカー部」の版間の差分

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m →‎概要: JSLイヤーブック89-90p182に日立製作所茨城日立サッカー部とあり、通称は茨城日立だったはず(該当項目も要訂正なのだが)
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なお、本サッカー部の創設年は一般に[[1940年]]であり、当初は「日立製作所本社サッカー部(日立本社サッカー部)」の名称であった<ref name=history>{{cite web|url=http://www.reysol.co.jp/club/history/history95.php|title=ヒストリー(前身~1995年)|work=[[柏レイソル]]|accessdate=2016-2-21}}</ref>。この「日立本社サッカー部」が創設された1940年以降で確認できる初の公式戦である第10回関東実業団蹴球大会の1回戦・[[明治製菓]]戦(1941年2月2日)は2-0で勝利<ref>[[朝日新聞]]東京、[[1941年]][[2月3日]]、2016年2月21日閲覧</ref>。なお、同大会は決勝で[[第一生命保険]]に敗れ準優勝に終わった。1941年4月16日、関東実業団蹴球連盟の総会で創設が決定された「関東東実業団蹴球」(リーグ戦)の4部へ所属することが承認された(他に[[古河電気工業サッカー部|古河電工]](現:[[ジェフユナイテッド市原・千葉]])や[[日本勧業銀行]]、[[日本曹達]]など)<ref>「実業団蹴球の加盟チーム」[[朝日新聞]]東京、[[1941年]][[4月18日]]、2016年2月16日閲覧</ref>が、同年12月からの[[太平洋戦争]]勃発によりサッカー部の活動は休止を余儀なくされた。
 
終戦後の[[1946年]]に活動を再開。[[1947年]]に[[高橋英辰]]が[[日立製作所茨城サッカー部|日立茨城日立]]から本社へ転属した<ref>[http://1st.geocities.jp/roku_fc_jr/what_roku.htm ロク・フットボールクラブ(ロクFCJr.)U-12 - ロクFC名称の由来]</ref>。
 
[[全日本実業団サッカー選手権大会]]は1951年の第4回大会から参加し決勝に進出したが[[田辺三菱製薬サッカー部|田辺製薬]]に敗れて準優勝。1952年(第5回)、1953年(第6回)、1954年(第7回)も決勝に進出したがいずれも田辺製薬に敗れた。1958年の第11回大会は決勝で古河電工を破って実業団選手権初優勝を果たし<ref name=history/>、1963年には[[全国都市対抗サッカー選手権大会]]で初優勝した。1960年に[[第40回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]に初出場して3位に入った。