「大名県」の版間の差分

[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]、[[東魏]]により設置された'''貴郷県'''を前身とする。[[580年]]([[大象]]2年)には[[北斉]]により[[魏州]]州治とされ、[[隋|隋代]]の[[大業]]年間には[[武陽郡]]郡治とされた。その後[[唐|唐代]]には[[662年]]([[武徳]]4年)に魏州(662年から672年は冀州と改称)の州治とされた。
 
[[五代十国時代]]になると、[[948年]]([[同光]]元年)、[[後唐]]により'''広晋県'''とされ[[広晋府]]府治とされた。[[948年]]([[乾祐 (五代後漢)|乾祐]]元年)には[[後漢 (五代)|後漢]]により'''大名県'''と改称され[[大名府]]府治とされている。
 
[[宋 (王朝)|宋代]]になると、「四京」の一つとして[[副都]]でもある大名府(北京大名府とも)が設置され大名県はその府治とされた。大名府は[[河北東路]]の首府でもあり、[[燕雲十六州]]を支配下に置く[[遼|遼朝]]に対抗する軍事的要衝として重要視された。同時代を舞台にした『[[水滸伝]]』では、北京大名府は[[盧俊義]]や[[燕青]]などの登場人物が暮らす大都会として描写されている。大名県は[[1073年]]([[熙寧]]6年)に廃止され[[元城県]]に編入されたが、[[1096年]]([[紹聖]]3年)に再設置されている。
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