「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の版間の差分

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その後は公園内を金網で区切り、一方を児童公園として、一方を初級学校の運動場として使うという一種の「棲み分け」状態が続いた。運動場を使用しない時間帯は公園として一般に開放する運動場で[[バザー]]等の行事を開く際には近隣住民に挨拶して無料券を配るなど{{Sfn|安田浩一|2012|p=98}}、初級学校側が近隣住民から理解を得ることに努めたこともあって、公園使用に関するトラブルは長い間起こっていなかったという。また同公園の管理者である京都市南部みどり管理事務所(以下「管理事務所」と表記)によると、[[2009年]]([[平成]]21年)頃までは[[市民]]からの苦情や要請が寄せられることもなかったとされるが{{Sfn|安田浩一|2012|p=110}}、地域の住民には不満があり、在特会による抗議活動前には、市側に苦情がよせられていたという{{Sfn|安田浩一|2012|p=112}}。また、2010年8月27日時点では公園の近隣の住民から朝鮮学校が公園を校庭として使用していることに対して京都市へ苦情が寄せられていたことが明らかになっている<ref name="kyoudou0827"/>。
 
[[SAPIO]]の2014年6月号の記事によれば70代の女性の「当初『公園の使用は平日の午前中だけ』という約束だったのに、いつの間にか朝礼台やサッカーゴールを持ち込んで朝から夕方まで使うようになったんですよ。土日もサッカーのクラブ活動で占領しているし、小さな子やお年寄りは公園に近づけなかったですね」という意見や70代の男性の「公園に行ったら若い教師に『ここはうちのグラウンドだ』と追い出されたこともあったよ。登下校時は生徒の送迎で道が大渋滞したし、夏祭りのときは焼肉の臭いと煙がすごかった。祭りで使えるビール券などを近所に配るんだけど、とても輪に入れる雰囲気ではなかったね」という意見がある<ref name="post7">{{cite news |title=在特会が憤る京都朝鮮学校の公園問題 地元当事者が実情語る |url=https://web.archive.org/web/20140524030401/http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140514-00000010-pseven-soci |newspaper=[[NEWSポストセブン]] |date=2014-505-14 }}</ref>。
 
なお初級学校側は[[1963年]](昭和38年)に京都市・[[町内会]]と交渉して承諾を得た上で公園を使用していたと主張しているが、市側は当時の資料が残っていないため確認できないとしており{{Sfn|安田浩一|2012|p=110}}、また朝礼台等の設置にあたって[[都市公園法]]上の正式な占用許可を得ていなかったため、後に当時の[[校長]]が[[罰金|罰金刑]]を科されている([[#初級学校側_2|後述]])。
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=== 抗議者側 ===
[[在日特権を許さない市民の会|在特会]]は事件の当日に「[[関西]]支部が[[在日韓国・朝鮮人|在日朝鮮人]]に不法占拠されてきた[[勧進橋児童公園|児童公園]]を奪還!」と題した記事を公式[[公式ウェブサイト|公式サイト]]上に掲載し、抗議は成功裏に終わったと報告した<ref>{{Cite web |date=2009-12-04 |url=http://www.zaitokukai.info/modules/news/article.php?storyid=308 |title=関西支部が在日朝鮮人に不法占拠されてきた児童公園を奪還! |publisher=[[在日特権を許さない市民の会]] |accessdate=2013-04-28 }}</ref>。また[[2009年]]([[平成]]21年)[[12月21日]]には[[京都朝鮮第一初級学校|初級学校]]校長らを[[都市公園法]]違反の容疑で[[告訴・告発|刑事告発]]している<ref>{{Cite web |date=2009-12-21 |url=http://www.zaitokukai.info/modules/news/article.php?storyid=318 |title=【緊急情報】 12.21在特会は京都朝鮮学校側を告発しました |publisher=在日特権を許さない市民の会 |accessdate=2013-04-28 }}</ref>{{Sfn|安田浩一|2012|p=102}}。
 
在特会に抗議依頼をおこなった住民男性は[[アップロード]]された動画で事件のことを知り、若干やり過ぎではないかと感じつつも、感謝の意を込めて相場以上の[[カンパ]]を行ったという{{Sfn|安田浩一|2012|p=113}}。
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=== 抗議者側 ===
[[在日特権を許さない市民の会|在特会]]など抗議者側の多くは現在も当事件を全面的に正当化する姿勢を崩しておらず、当事件を「日本を守るための正義の戦い」、[[逮捕]]された参加者を「勇士」と呼んで賞賛している{{Sfn|安田浩一|2012|p=101}}。在特会筆頭副会長の[[八木康洋]]は、「在特会は彼等がこれ以上罪を重ねないようにしてあげたのだから、逆に感謝してもらいたいくらい」「裁判では朝鮮学校の支援者達が大量に傍聴に来て、100人近い弁護士が代理人となっているが、誰一人として朝鮮学校の違法行為を(教職員ら)に教えてやらなかったのが不思議」と主張する<ref>[http://www.zaitokukai.info/modules/wordpress/index.php?p=447 在日特権を許さない市民の会 - 呟き : 裁判の報告] 、2014年9月4日閲覧。</ref>。また、同会会員の[[瀬戸弘幸]]は「歴史的な快挙であり、歴史的な偉業でもある。しかし、この偉業を達成するには関西地方における愛国者の勇敢なる戦いがあった。大きな犠牲を払って勝ち取った成果」と自身のブログに書き綴っている<ref>[http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52845823.html 京都・朝鮮学校を廃校に追い込んだ愛国運動(1)] 、2014年9月4日閲覧。</ref>。
 
事件からちょうど1年目にあたる[[2010年]]([[平成]]22年)[[12月4日]]には在特会の[[東京都|東京]]・[[京都府|京都]]・[[北海道]]・[[宮城県|宮城]]4支部が「勧進橋児童公園奪還一周年記念」などと題した[[デモ活動|デモ]]を行い<ref>{{Cite web |date=2010-12-04 |url=http://www.zaitokukai.info/modules/piCal/index.php?smode=Daily&caldate=2010-12-4 |title=在日特権を許さない市民の会 - カレンダー(2010年12月4日) |publisher=在日特権を許さない市民の会 |accessdate=2013-04-28 }}</ref>、翌[[2011年]](平成23年)12月4日には[[チーム関西]]のメンバーらが[[京都市]]内で「勧進橋児童公園奪還二周年」を記念するパーティーを開催した<ref>{{Cite web |date=2011-12-04 |url=http://team-kansai.sakura.ne.jp/scheduler/scheduler.cgi?mode=view&no=258 |title=12.4 勧進橋児童公園奪還2周年記念行事開催決定!! |publisher=[[チーム関西]] |accessdate=2013-04-28 }}</ref>。2014年12月7日には在特会による京都市内[[八坂神社]]からのデモ行進が行われた<ref>[http://newsonjapan.com/html/newsdesk/article/110618.php Anti-Korean 'hate speech' rallies continue in Kyoto. ''ASAHI'' Dec.11](written in English)</ref>。
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他方で、この事件をきっかけに在特会などの活動から手を引いた者も現れた。チーム関西のまとめ役の一人として街宣に参加し[[起訴猶予処分]]を受けた50代後半の男性は、「これを契機に過激な言動を控え運動を社会的に広げる方向に向かうべきだ」と主張したが受け容れられず、失望して活動の現場を離れた{{Sfn|安田浩一|2012|pp=226-236}}。また在特会の地方支部長を務めていた50代の男性は、「在特会は違法行為である本事件を全面的に肯定した結果、ただ騒ぎたい連中ばかりが台頭するようになり、『逮捕上等・[[愛国無罪]]』の組織になってしまった」と述べ、2011年(平成23年)に支部長職を辞して会を去った{{Sfn|安田浩一|2012|pp=281-282}}。
 
また、[[主権回復を目指す会]]は事件後、「[[西村修平]]は事件には関与していない」とし、近隣の住民から、京都朝鮮学校の不法について相談を受けた4名が、この巨大な権力に対し、何の後ろ盾もない身でありながら勇気を持って抗議したのが事の真実である、としつつも、その大義を世に問う手法が、正しいものであったかどうか、世論の賛同を得たかどうかを考えるとき、深く反省するところがある。と発表し、過激化した街宣を自己批判する声明を発表した<ref>「元「在特会」側の西村修平氏は反対勢に――在特会が日韓断交で差別行動」『週刊金曜日ニュース』(2014年10月14日)</ref>。その後同団体と在特会は過激な[[ヘイトスピーチ]]をめぐって対立することとなった<ref>[http://shukenkaifuku.com/?p=2250 陳述書(大意)](主権会内サイト)</ref>。
 
== 脚注 ==