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== 概要 ==
=== 航空母艦計画 ===
イタリアは[[ワシントン会議 (1922年)|ワシントン会議]]で空母保有枠60,000トンを認められたが、[[黒シャツ隊|国民義勇軍]]の総監に続いて[[1926年]]に空軍大臣に就任した[[イタロ・バルボ]]の発言力が強く。彼は空母の必要性を認めないばかりか海の発言力が強くへ旧式機しか残さない等、海軍も積極的に空母を建造しようとはしなかった<ref>独仏伊 幻の航空母艦建造計画 瀬名堯彦 p260</ref>
 
しかし、[[1935年]]、[[第二次エチオピア戦争]]時に[[イギリス]]からの干渉を受けたことで、イギリス地中海艦隊が仮想敵として浮上し、中でもイギリスの航空母艦への対抗が無いことが問題視されるようになった。この時、旧式化していた[[弩級戦艦]][[カイオ・ドゥイリオ級戦艦]]2隻を航空母艦へ改装する案が出されたが、速力が21.5ノットと低速なことや戦艦としての構造が航空母艦として不適格と判断され、この案は見送られることとなった<ref>独仏伊 幻の航空母艦建造計画 瀬名堯彦 p266</ref>
 
同時期、[[超弩級戦艦]][[ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦]]の設計を手掛けていた造船総監督ウンベルト・プリエーゼ技術大将は14,000トン案と22,000トン案の2タイプの航空母艦の設計案を海軍に提出した<ref>丸 2014年10月号 瀬名堯彦 p140</ref>。
 
この新型空母案は島型艦橋(アイランド)を持つ近代的な物であり、設計においてはイギリス海軍の航空母艦「[[アーク・ロイヤル (空母・初代)|アーク・ロイヤル]]」の影響がみられるものであった。カヴァンニヤーリ海軍次官は2案のうち予算的に制約の少ない14,000トン案に興味を抱いたが、この時期には海軍は[[新戦艦]]の建造に全力を注いでおり、一方でエチオピアをめぐる国際情勢悪化のために早急に空母を調達する必要があり、新型空母を1から建造することは難しい状況だった。
 
=== 改装への選定 ===
その代り、海軍が目をつけたのは。[[1926年]]に竣工した客船「ローマ([[:en:SS Roma (1926)|Roma]])」(32,120総トン、21ノット)と「アウグストゥス([[:en:MS Augustus|MS Augustus]])」であった。新造は難しくとも、既存の船体を流用すれば工期を短縮できると判断し、海軍はこれを徴用する事とした。[[1936年]]に改装空母の設計案がまとめられた<ref>丸 2014年10月号 瀬名堯彦 p141~142</ref>。2艦のうち、「ローマ」を改装したものが本艦で、「アウグストゥス」改装のものは当初「ファルコ(隼)」と名付けられたが、後に「[[スパルヴィエロ (空母)|スパルヴィエロ]](ハイタカ)」と改名された。
[[File:Piroscafo ROMA con scafo bianco 1936.jpg|thumb|left|250px|本艦の前身である貨客船「ローマ」。]]
 
時期のイギリスは地中海艦隊に航空母艦「グローリアス」に加え、本国艦隊の姉妹艦「カレイジャス」も一定期間で地中海に派遣されており、有事の際にはこの2隻を相手にせねばならなかった。その折に海軍が目をつけたのは[[1926年]]に竣工した客船「ローマ([[:en:SS Roma (1926)|Roma]])」(32,120総トン、21ノット)と「アウグストゥス([[:en:MS Augustus|MS Augustus]])」の2隻であった。新造は難しくとも、既存の船体を流用すれば工期を短縮できると判断し、海軍はこれを徴用する事とした。[[1936年]]に改装空母の設計案がまとめられた<ref>丸 2014年10月号 瀬名堯彦 p141~142</ref>。2艦のうち、「ローマ」を改装したものが本艦で、「アウグストゥス」改装のものは当初「ファルコ(隼)」と名付けられたが、後に「[[スパルヴィエロ (空母)|スパルヴィエロ]](ハイタカ)」と改名された<ref>独仏伊 幻の航空母艦建造計画 瀬名堯彦 p267~268</ref>
しかし、1936年8月にエチオピア戦争が終結し、地中海におけるイギリス海軍への脅威が薄れて余裕ができると、海軍はふたたび新造空母計画に立ち戻り、本艦の改装計画は一時中断する。
 
しかし、1936年8月にエチオピア戦争が終結し、地中海におけるイギリス海軍への脅威が薄れて余裕ができると、海軍はふたたび新造空母計画に立ち戻り、本艦の改装計画は一時中断する。[[1937年]]にカヴァンニヤーリ海軍次官は東アフリカのイタリア海軍基地への戦闘部隊配備を企画、航洋性のある軽巡洋艦部隊と近代新造2隻を基幹とする案を提案し、新造空母研究続行を指示した。新造空母は1936年案では排水量15,000トンに拡大された<ref>独仏伊 幻の航空母艦建造計画 瀬名堯彦 p270</ref>
 
海軍計画では[[フランス海軍]]の[[ダンケルク級戦艦]]への対抗として15インチ砲を持つ新戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト級」2隻が1934年に起工し、1937年に順調に進水しており、また戦艦「コンテ・ディ・カヴール級」2隻の改装工事が終わって就役する時期だった。加えて計画した重巡洋艦や軽巡洋艦、駆逐艦などの整備も予定通りに進捗している状況であり、これに新型空母と新型軽巡を加えることで、英地中海艦隊にも対抗しえる均衡のとれた海軍戦力を得られるはずであった。
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しかし、折から[[ドイツ軍]]の[[ポーランド]]侵攻により[[第二次世界大戦]]が勃発、イタリアは中立を宣言していたものの戦争介入への可能性は高まっていた。イタリア海軍としては航空母艦の整備を急ぐ必要もあったため、結局は客船「ローマ」と「アウグストゥス」の空母への改装方針がより固められることになった。この時期には「ローマ」はアメリカから呼び戻されており、開戦後の戦いにおいて、洋上でのイタリア空軍の支援が受けられない不満から自ずと航空母艦の重要性を感じた海軍は、この時期に及んで航空母艦を求めた。<ref>丸 2014年10月号 瀬名堯彦 p143</ref>。
 
[[1940年]]になっても本艦に搭載予定のフィアット社のディーゼル機関の開発は遅延を続けたため、イタリア海軍では機関の感想を必要としない高速客船を改装空母とする研究を始めた。カヴァンニヤーリ海軍次官が選定したのは「[[レックス (客船)|レックス]]」と「コンテ・ディ・サヴォイア」の2隻でいずれも航海速力は約27ノットを発揮できるもので空母への改装に支障はなかったと考えられた。しかし、海運当局の反対があってこの計画は頓挫した<ref>独仏伊 幻の航空母艦建造計画 瀬名堯彦 p286</ref>。
 
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== 艦形 ==
[[File:Авианосец Аквила.jpg|thumb|left|250px|本艦の完成予想図]]
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*「世界の艦船増刊第46集 イギリス巡洋艦史」(海人社)
*「丸 2014年10月号 ビジュアル『艦艇学』入門講座 仏独伊海軍「空母」仰天計画」([[光人社]])
*「NF文庫 瀬名堯彦著 独仏伊 幻の航空母艦建造計画 知られざる欧州三国海軍の画策」(光人社)
 
==関連項目==