「妙顕寺 (京都市)」の版間の差分

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|文化財 = 妙顕寺文書(重要文化財)ほか
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[[ファイル:妙顕寺3791.JPG|thumb|180px|妙顕寺城の跡。豊臣秀吉が建てた。京都市中京区押小路通小御池西入る]]
'''妙顕寺'''(みょうけんじ)は、[[京都府]][[京都市]][[上京区]]にある、[[日蓮宗]]の大[[本山]]。山号は具足山。[[塔頭]]が九院ある(久本院、十乗院、泉妙院、法音院、恩命院、善行院、本妙院、實成院、教法院)。
 
 
== 歴史 ==
日像は、元亨元年(1321年)、今小路(現京都市上京区大宮上長者町)に妙顕寺を建立した。なお、師の日朗から日像あての書状には「綾小路大宮の御坊」とあり、元亨以前に綾小路大宮(現下京区)に布教の拠点があったとみられる。建武元年(1334年)には後醍醐天皇より[[綸旨]]を賜り、[[勅願寺]]となった。暦応4年(1341年)、[[光厳天皇|光厳院]]の院宣により、四条櫛笥(現京都市下京区・中京区の境)に移転した。
 
嘉慶元年(1387年)、[[比叡山]][[衆徒]]により伽藍が破却され、寺は[[若狭国|若狭]][[小浜市|小浜]]に避難する。明徳4年(1393年)、[[足利義満]]の[[斡旋]]により、三条坊門堀川(現中京区堀川御池)に伽藍を再建し、寺号を妙本寺と改めた。応永18年(1411年)には[[足利義持]]の祈願寺となっている。応永20年(1413年)、寺は比叡山衆徒により再び破却され、永正18年(1521年)、[[足利義稙]]の命により、二条西洞院(現中京区)に再建されている。その前後、永正・大永頃(1504 - 1528年)に寺号を妙顕寺に戻している。
== 文化財 ==
=== 重要文化財(国指定) ===
*妙顕寺文書 60(1656通)60巻、74幅、1294通 附:蒔絵文書箱2合
*金字法華経 巻第五(巻首伏見天皇宸翰)
*後小松天皇宸翰消息 2幅
*神国王書 日蓮筆 2巻
*強仁状御返事 日蓮筆