「プロヒューモ事件」の版間の差分

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その後、1962年12月に発生した、キーラーと性的関係のある2人の男性の銃撃事件を調査した[[報道機関|マスコミ]]が、「キーラーはプロヒューモ陸相と、イギリス駐在ソ連大使館付海軍武官のイワノフ大佐とも親密な関係がある」という情報を入手。しかし、「[[政治家]]の[[プライバシー]]を尊重する」というイギリスの伝統のため、当初事件は大きく扱われなかった。
 
しかし[[1963年]][[3月21日]]に、イギリス[[庶民院 (イギリス)|下院]]で[[労働党 (イギリス)|労働党]]議員ジョージ・ウィッグが「ある傷害事件の証人として出廷を命じられたキーラーと、マクミラン政権の閣僚の1人が関係があり、国家の安全のために事件を追究すべし」とし、噂の真相究明を要求した。疑いをもたれたプロヒューモは、「その女性は知っているが、不品行な関係はない」と下院で身の潔白を主張した。
 
その後、キーラーがイワノフ大佐とも関係があったことがマスコミにより明らかになり、国家の軍事機密漏洩事件にまで発展。イギリスのマスコミもこぞってこの事件の詳細を報道、国内の大きな関心事となった上、[[アメリカ]]や[[フランス]]などのイギリスの同盟国でも大きく報じられた。