「ニュージョージア島の戦い」の版間の差分

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[[ファイル:Battle_of_New_Georgia_map.jpg|thumb|220px|青い矢印が米軍の進路]]
[[ファイル:MundaPointAirstripView.jpg|thumb|220px|ムンダ飛行場]]
'''ニュージョージア島の戦い'''(ニュージョージアとうのたたかい)とは、[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])中のソロモン諸島を巡る戦闘の一つで[[1943年]][[6月30日]]に[[米軍]]が上陸して始まった。ここでは同じ[[ニュージョージア諸島]]のレンドバ島・コロンバンガラ島・ベララベラ島での戦いも記述する。
 
== 背景 ==
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[[7月25日]]、米第14軍は猛烈な砲爆撃の掩護の下、[[M3軽戦車|戦車]]を先頭にムンダへの攻勢を開始した。対戦車装備の乏しい日本軍は[[破甲爆雷]]を用いて肉弾戦を行なったが、多大な損害を出して[[8月4日]]にムンダ飛行場を放棄して戦線を縮小した。8月5日までに各大砲の砲弾は底を突いた。
 
===米軍のベララベラ上陸と日本軍のニュージョージア放棄===
日本軍[[第8方面軍 (日本軍)|第八方面軍]]は、増援部隊と物資50トンを駆逐艦4隻に積み込んでラバウルから発進させたが、8月6日夜、[[ベララベラ島]]沖で米軍に迎撃された。この[[ベラ湾夜戦]]で日本海軍は3隻の駆逐艦を失って、輸送作戦も失敗した。
この輸送失敗によってニュージョージア島での敗北は決定的となり、佐々木支隊長は[[コロンバンガラ島]]への撤退を第八方面軍司令部に打電したが、司令部より「ムンダ飛行場を砲撃して敵に使わせないのが任務だ」と反対された。制空権も砲撃力もない現状においては、まったく無理な注文であった。
 
[[8月15日]]、コロンバンガラ島の防備が厚いと見た米軍はベララベラ島に上陸を開始し、コロンバンガラ島とニュージョージア島は後方を遮断される形となった。ベララベラ島の日本軍守備隊(鶴屋部隊)は600人にすぎず、たちまち苦戦に陥った。[[8月17日]]、日本軍はベララベラ島ホラニウを強化するため輸送部隊を派遣し、ベラ沖で哨戒中の米艦隊と交戦した。この[[第一次ベララベラ海戦]]で[[日本海軍]]は[[駆潜艇]]4隻を失ったものの輸送は成功した。
{{Main|第一次ベララベラ海戦}}
 
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== セ号作戦 ==
[[第八艦隊 (日本海軍)|第八艦隊]][[参謀]]の[[木阪義胤]]中佐は、コロンバンガラ島からの撤退作戦を立案した。この作戦は「セ」号作戦と命名された。この作戦の目的は、コロンバンガラ島に集結した日本軍12,000名を、[[チョイセル島]]を経由して[[ブーゲンビル島]]に撤退させることであった。チョイセル島とコロンバンガラ島は最短で48キロしか離れておらず[[大発動艇|大発]]などの舟艇を多用することとなったが、収容可能な人数が少ないため2往復する事となった。ラバウル在泊の殆どの駆逐艦を投入する作戦となった。
=== 参加兵力 ===
機動舟艇部隊<ref>輸送部隊</ref> (芳村正義少将)
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=== 第二次撤収作戦 ===
9月3日に第二次撤収作戦が下令され、10月1日夜に機動舟艇部隊は駆逐艦「夕凪」を加えた襲撃部隊に支援され<ref>[[#戦史叢書96ガ島撤収後]]299頁</ref>チョイセル島を発進した。米軍は第一次撤収作戦を受けて哨戒を強化しており、移動中の機動舟艇部隊は米駆逐艦6隻(ウォーラー、イートン、コニイ、ラルフ・タルボット、テイラー、テリィ)に発見された。掩護に当たっていた[[潜水艦]]「[[伊20]]」は、米駆逐艦の攻撃を受けて沈没した。機動舟艇部隊の各艇は散り散りとなってコロンバンガラ島に突入した。機動舟艇部隊は全ての部隊を収容し、翌2日夜にコロンバンガラ島を離れた。洋上で駆逐艦磯風、時雨、五月雨と合流し移乗を開始したが、米駆逐艦4隻が接近したため中止した。両艦隊は砲撃戦を行なったが、五月雨が小破したのみで日本海軍の駆逐艦は魚雷を発射してラバウルに後退した。のこされた機動舟艇部隊はそのままチョイセル島に脱出した。最終的に投入した大発の半数を失ったが、作戦は成功し1万2千名を脱出させることに成功した。
 
=== ベララベラからの撤収作戦 ===
コロンバンガラ島からの撤退に伴い[[ベララベラ島]]を維持する必要がなくなったため、第八艦隊は南東方面艦隊の反対を押し切る形で同島守備隊(鶴屋部隊)の撤退作戦を発動した<ref>[[#戦史叢書96ガ島撤収後]]304-306頁『ベララベラ島所在部隊の撤退』</ref>。参加兵力は、夜襲部隊(三水戦司令官伊集院大佐直率、秋雲《旗艦》、風雲、夕雲、磯風、時雨、五月雨)、輸送部隊(文月、[[夕凪 (2代神風型駆逐艦)|夕凪]]、[[松風 (2代神風型駆逐艦)|松風]])、収容部隊(第31駆潜隊、艦載水雷艇、大発動艇)及び護衛戦闘機である<ref name="叢書(96)306">[[#戦史叢書96ガ島撤収後]]306-307頁『転進作戦実施経過』</ref>。これを迎撃するため米軍駆逐艦6隻が出動し、このうち3隻が第三水雷戦隊と交戦した(10月6日-7日[[第二次ベララベラ海戦]])<ref name="叢書(96)306"/>。日本側は「夕雲」が沈没、米軍は「[[シャヴァリア (DD-451)|シュバリエ]]」が沈没し他2隻が大破、ベララベラ島からの鶴屋部隊撤収も成功した<ref>[[#戦史叢書96ガ島撤収後]]307-308頁『ベララベラ島沖海戦』</ref>。
 
==アメリカ側の教訓==