「置賜郡」の版間の差分

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[[和銅]]5年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]([[712年]][[11月4日]])に、[[最上郡]]とともに新設の[[出羽国]]の下に移された<ref>『続日本紀』該当年月条。</ref>。『[[続日本紀]]』にはこの後の[[霊亀]]2年[[9月23日 (旧暦)|9月23日]]([[716年]][[10月12日]])条にも陸奥国置賜最上2郡を出羽国に隷(つ)けるという記事があって矛盾するが、霊亀2年のほうが何らかの誤りとみられている<ref>高橋崇『律令国家東北史の研究』18頁。</ref>。
 
平安末期は[[奥州藤原氏]]の支配下に入った。その滅亡後、[[大江広元]]が支配し、広元の子の[[長井時広]]が継承。置賜郡北西の長井荘(現[[米沢市]]・[[長井市]])から、以後[[長井氏]]を名乗る。後に長井氏が東南の[[米沢城|米沢]]を拠点としたことから、置賜郡全体が長井荘とも言われるようになる<ref>『日本地名大系』。</ref>。近世には長井郡とも呼ばれるようになった<ref>『角川日本地名大辞典』。</ref><ref>『長井市史』原始古代中世編</ref>。
 
=== 近世までの沿革 ===