「フュージョン (音楽)」の版間の差分

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== 発祥 ==
1960年代半ばに[[キャノンボール・アダレイ]]が「[[マーシーマーシーマーシー]]」などの楽曲で、ジャズとソウルを融合した音楽を演奏し始めた。しかしこれはフュージョンとは呼ばれず、[[ファンキー・ジャズ|ソウル・ジャズ]]と認識された。'60年代後半になると[[マイルス・デイヴィス]]や[[トニー・ウィリアムス]]の[[ライフタイム]]が[[エレクトリックギター|エレクトリック・ギター]]や[[ベース・ギター]]、[[エレクトリック・ピアノ]]といった[[電気楽器]]を用いてロックをジャズに取り入れ、エレクトリック・ジャズとか[[ジャズ・ロック]]、クロスオーバーと呼ばれる演奏を始めた。後に[[ハービー・ハンコック]]や[[ジョー・ザヴィヌル]]、[[ヤン・ハマー]]、[[チック・コリア]]等が[[モーグ・シンセサイザー]]を取り入れている。
 
その後、トランペッターの[[マイルス・デイヴィス]]が "In a Silent Way"『[[イン・ア・サイレント・ウェイ]]』 (1969)と "Bitches Brew"『[[ビッチェズ・ブリュー]]』 (1970)を発表し、更には[[デオダート]]が1972年に「ツァラトゥストラはかく語りき」("Prelude"収録)を発表し、これらがクロスオーバーやフュージョンの雛形となった。
 
==日本におけるフュージョン==