「陸奥 (戦艦)」の版間の差分

三式弾の自然発火は原因調査前に最も疑われた事故原因のひとつだった<ref name="叢書(88)109"/>。だが、扶桑艦長[[鶴岡信道]]大佐以下、陸奥爆沈目撃者は爆発直後に発生した爆発煙を、ニトログリセリンと綿火薬が主成分の主砲弾用九三式一号装薬によるものだったと述べ、原因調査の際に行われた目撃者に対する火薬煙の比較確認実験でも、同様の証言が残されている。査問委員会が実施したこの実験は、約300万円を計上して呉工廠亀ヶ首砲熕実験場内に陸奥の第三砲塔弾薬庫と全く同じ構造の模型を建造し、陸奥生存者立ち会いのもとで各種の実験を行うという本格的なものだった<ref name="叢書(88)109"/>。この実験でも、三式弾の劣化等による自然発火は発生しないことが確認された<ref name="叢書(88)109"/>。
 
また異説として、大高勇治(第七駆逐隊司令部付通信兵)による爆雷誤爆説がある<ref>[[#第七駆逐隊]]p.166</ref>。陸奥爆沈の約1年半前の[[1941年]](昭和16年)12月30日、対潜水艦哨戒出撃準備中の駆逐艦[[潮 (吹雪型駆逐艦)|潮]]は起爆点を水深25メートルにセットしたままの爆雷1個を陸奥爆沈地点に落としたとされる<ref>[[#第七駆逐隊]]p.165</ref>。その際は爆発せず、引き上げられもせず放置された。落とした事実は上級士官に報告されなかった<ref>[[#第七駆逐隊]]p.165</ref>。この付近は水深25メートル前後であり、陸奥移動時のスクリューの回転により何らかの波動が発生して爆雷が爆発したのが陸奥沈没の原因であると結論づけている<ref>[[#第七駆逐隊]]pp.166-168「陸奥爆沈の珍事実」</ref>。大高は人為説に対して、戦艦の弾薬庫管理は厳重であること、鍵は当直将校が首にかけていること、弾薬庫には不寝番衛兵がいることなどを指摘し、仮に陸奥艦長が敵国のスパイであったとしても、火薬庫に侵入・放火することは不可能だとして否定的である<ref>[[#第七駆逐隊]]p.167</ref>。長門副砲手として陸奥爆沈を目撃した田代軍寿郎(海軍一等兵曹)も、弾火薬庫常備鍵を持った陸奥副直将校が鍵箱ごと遺体で回収されたこと、予備鍵は艦長室にあることを理由に挙げ、弾薬庫不審者侵入説を強く否定している<ref>[[#歴群15長門型]]pp.188-189</ref>。しかし警備が厳重な弾火薬庫扉を経由せず、昼間は無施錠となっていた砲塔から換装室を経由し火薬庫へ侵入するルートがある事を指摘する声もある<ref>[[#陸奥爆沈(新潮文庫1979版)]]p.202</ref>。空母「千歳、瑞鳳、瑞鶴」の艦長を勤めた[[野元為輝]](少将)も「そんなのすぐ鍵やってる。砲術が悪い」と[[海軍反省会]]で証言している<ref>[[#海軍反省会4]]p.46</ref>。
 
== 海底の船体の状態 ==
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