「日本橋大伝馬町」の版間の差分

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{{Infobox Settlement
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[[ファイル:100 views edo 007.jpg|サムネイル|江戸時代の大伝馬町(現・大伝馬町一丁目あたり)]]
'''日本橋大伝馬町'''(にほんばしおおでんまちょう)は、[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]の[[地名]]で、旧[[日本橋区]]にあたる[[日本橋区|日本橋地域]]内である。
 
== 概要 ==
[[江戸]]最古の町のひとつであり、最大の[[大通り|メイン通り]]である[[日光街道|日光]]・[[奥州街道]]で賑わいを見せた町で、[[神田祭]]などの筆頭氏子町会として[[山車]]を引いたことで知られる。現在はオフィス等連なる町並みで、[[べったら漬|べったら市‎]]などでぎわいを見せる街である。
江戸最大の繊維問屋街として名をはせるようになり、往時「木綿店」と通称された一角には、江戸時代には木綿多数の繊維問屋が74軒あり、その中でも6割以上が伊勢国(現在の三重県)の店が占め、かつ松坂出身の店が多くあった。また多数が戦後まで軒を並べていた。
 
== 地理 ==
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; [[名所]]・[[史跡]]
* [[日光街道|日光]]・[[奥州街道]] - 大伝馬本町通りが該当。
* [[蔦屋耕書堂]] - 地本問屋で主人は蔦屋重三郎。 1773年(安永2年)、重三郎は吉原大門の前に書店を開き、はじめは吉原細見(店ごとに遊女の名を記した案内書)の販売、出版から出版業に関わって、山に蔦の印の箱看板を出していて、蔦重〔つたじゅう〕と呼ばれていた。1783年(天明3年)に日本橋大伝馬町に移転してきた。 山東京伝、馬琴、一九などの作家や絵師をかかえていた。 浮世絵を出版し、 歌麿と写楽を見いだした。1802年に出版された北斎の『絵本東都遊』に店先の様子が描かれている。
 
== 交通 ==
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[[Category:日本橋 (東京都中央区)]]
[[Category:東京都中央区の町名‎‎‎‎]]
[[Category:奥州街道]]
[[Category:日光街道]]