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=== 現代 ===
{{いつ範囲|date=2015年12月|近年から}}現在に至るまで、妖怪は様々な[[媒体]](マスメディア)で紹介されてきたため、老若男女が知るものとなっている。

戦前の[[紙芝居]]や戦後の[[漫画]]産業の振興や昭和40年代([[1970年]]前後)まで続いた[[貸本屋]]、[[テレビ放送]]の普及などもその認知やある意味での親近感につながっている。そして現在では、遠野物語にえがかれた[[岩手県]]の[[遠野]]や、[[水木しげる]]の出身地でもある[[鳥取県]]などに代表されるように、妖怪は[[観光資源]]としてや地域活性にも役立てられていて、[[京都]]には町家を改装した妖怪堂という店があり、店主が京都の妖怪案内をするというようなものまである。
 
このように様々な形で妖怪が伝承されてはいるが、昔ながらの年長者や年配者による[[口承|口伝え]]が少なく、[[口承|口碑伝承]]によるその地域ならではの事情や背景も伝わりにくいことや、九十九神に代表される[[古典]]的な妖怪は、自然が身近にあって初めて現実的なものとして捉えることのできる[[狸]](たぬき)や[[狐]](きつね)や[[鼬]](いたち)であったり、郊外や地方のその地域おいて、[[第一次産業|1次産業]]に携わるような社会環境であっても、もう見ることのできないような、いわゆる[[民具|古民具]]などに代表される[[硯]](すずり)や[[釜]](かま)や[[釣瓶]](つるべ)であったり、昔懐かしい生活としての「[[小豆洗い]]」や「[[泥田坊]](田作りの土起し)」であるため、昭和一桁の世代でさえ[[疎開]]を経験していなければ、その妖怪のもととなる「物」が、「身近でない・良くわからない」こともある。[[古典落語]]と同じようにその言葉の意味や、言葉は解っていても現実的に形として想像できないといった、社会そのものが近代化してしまったことが、妖怪という日本の[[古典文化]]の継承に影を落としている。