「小此木彦三郎」の版間の差分

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|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1928|1|26|1991|11|4}}
|死没地 =
|出身校 = [[早稲田大学]][[文学部]]卒業
|前職 = [[横浜市|横浜市会議員]]<br />[[衆議院議員]]
|現職 =
|所属政党 = [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]([[政策科学研究所 (派閥)|中曽根派→渡辺派]])
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|サイトタイトル =
|国旗 = JPN
|職名 = 第52代 [[建設大臣]]
|内閣 = [[竹下内閣 (改造)|竹下改造内閣]]
|就任日 = [[1988年]][[12月27日]]
|退任日 = [[1989年]][[6月2日]]
|国旗2 = JPN
|職名2 = 第45代 [[経済産業大臣|通商産業大臣]]
|内閣2 = [[第2次中曽根内閣]]
|就任日2 = [[1983年]][[12月27日]]
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|国旗3 = JPN
|職名3 = [[衆議院議員]]
|選挙区3 = [[神奈川県第1区 (中選挙区)|神奈川1区]]
|当選回数3 = 8回
|就任日3 = [[1969年]]
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== 来歴 ==
[[早稲田大学]]文学部卒業。[[横浜市]]議員を経て、[[第32回衆議院議員総選挙]]に[[神奈川県第1区 (中選挙区)|神奈川1区]]から出馬し初当選。連続当選8回。党内では[[政策科学研究所 (派閥)|中曽根派→渡辺派]]に所属した。運輸政務次官、外務政務次官、衆議院運輸委員長などを経て[[1983年]][[第2次中曽根内閣]]の[[経済産業大臣|通商産業大臣]]として初入閣。[[竹下内閣 (改造内閣)|竹下改造内閣]]では[[建設大臣]]を務めた。また、[[自由民主党国会対策委員会|自民党国会対策委員長]]、衆院[[議院運営委員会|議院運営委員長]]を歴任するなど党内でも有数の議運・国対族として知られ、与野党に幅広い人脈を持っていた。
 
[[1991年]][[小選挙区比例代表並立制]]導入を柱とする政治改革関連法案を審議する衆院政治改革特別委員会の委員長を務めたが、突如審議未了・廃案を宣言。当時の[[海部俊樹]]首相退陣([[海部おろし]])の引き金となった。
 
同年、衆議院第2議員会館7F7階に[[梶山静六]]を訪ねたが不在であったため、5F5階の自分の事務所に引き返す折に階段で転落し頭を強打。これが原因で同年[[11月4日]]に死去した{{63歳年齢|1928|1|26|1991|11|4}}
 
== 当選同期 ==