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== 嫌日家から親日家へ==
太平洋戦争終戦後、暫くはかつての敵であった日本人に対し否定的な感情を持っていた。公の場で日本人を「[[ジャップ]]」「黄色い猿ども」と侮蔑的に呼び、露骨に日本人を蔑み嫌う等、反日的・嫌日的な態度を取っていたが、ふとしたきっかけで元海軍中将[[草鹿任一]]と知り合い親交を持つようになると、以前とはうって変わって[[親日家]]となり、日本が早く占領状態から解放されるように軍人の立場から尽力、[[海上自衛隊]]の創設に協力することとなる。<ref>阿川尚之著『海の友情、米国海軍と海上自衛隊』(中公新書2001年)</ref>この功により1961年に[[勲一等旭日大綬章]]を授与された。他にも生前の様々な功績により、アメリカはもちろん各国から数多の[[勲章]]を授与されていたが、バークの遺志により、葬儀で遺体の胸につけられていたのは日本の旭日大綬章ただ一つだけであった<ref>阿川尚之『海の友情 米国海軍と海上自衛隊』(中公新書、2001年)</ref>。そのため、ワシントンにある海軍博物館のバークに関する展示には、各国から授与された勲章は展示されているが、日本から受勲された旭日大綬章の実物だけは抜けた形となっている。
 
==親日家になった理由として伝わる逸話==
朝鮮戦争の和平交渉の際、バークは帝国ホテルを定宿としていた。当初は日本人従業員に自分の荷物すら触れさせず、最低限の会話以外は頑なに拒絶していたが、従業員達は「行ってらっしゃいませ」「お帰りなさいませ」と行き返りの挨拶を欠かす事が無かった。ある時、殺風景な部屋の慰めにと花を一輪コップに挿しておいた所、翌日花瓶に花が移されていた。勝手な事をするなとホテルに文句を言うと、ホテル側は知らないと言う。それから花が枯れるたび、新しい花に代えられていく。気になり調べてみると、客室係の女性が個人的に花を買って差し替えていたと判明する。バークは感謝し花の代金を支払おうとするが、女性は客室係として当然の事をしただけと受け取ろうとしない。聞けば彼女は戦争未亡人であり、彼女の夫はソロモン海戦でバークによって沈められた駆逐艦の乗組員だった。バークは狼狽し「私は貴方の夫を殺した人間だ。どうか許して欲しい。」と謝罪したが、彼女は全く動揺せずに「悪いのは戦争です、何もしなければ死んでいたのは貴方です。貴方は何も悪くありません」と答えた。彼女の毅然とした態度にバークは自分のこれまでの卑小な態度を深く恥じ入り、日本に対するわだかまりは消え、深い敬意が芽生えた。
 
余談だが、東日本大震災におけるトモダチ作戦で、日本にいち早く到着した空母「ロナルド・レーガン」の艦長トム・バーク大佐は彼の孫に当たる。
<ref>2013年11月28日放送 ABC(朝日放送)「ビーバップ!ハイヒール」おもてなしは一日にして成らず 世界が愛した日本人の心</ref>
 
== 受章歴 ==