「紅葉山公園 (福島市)」の版間の差分

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== 概要 ==
かつての[[福島城]]二の丸御外庭であり、[[茶室]]や築山が設けられた。現在も池を中心にした造りは旧庭園面影をほぼそのまま残している。[[1933年]]より公園として一般市民に開放された<ref>「紅葉山(公園)」敷地内案内板より</ref>。[[福島県庁]]の東隣および福島県知事公館の西隣に位置し、[[公園]]からは[[阿武隈川]]の左岸に整備された[[河岸|河畔]]に下りることが出来る。神社例大祭および地元住民開催のイベント会場としても活用されている。
 
現在の[[愛知県]]にある、旧[[三河国]]八橋の[[カキツバタ]]の[[名勝]]である[[無量寿寺 (知立市)|八橋かきつばた園]]を模して庭園が造られたとされる。しかし現在の旧庭園内は、[[カキツバタ]]や[[ハナショウブ]]を含む[[アヤメ属]]の植栽は見受けられない。
 
== 敷地板倉神社 ==
福島城藩主の守り神として、福島城に祀っていたものを[[1882年]][[10月]]に「板倉神社」として整備。[[東日本大震災]]の被害を受け、[[2013年]]に社殿を再建された。
* [[福島城]]二の丸御外庭
* 板倉神社
* 杉妻稲荷神社
* 大ケヤキ - 樹齢400年以上
* 偕楽亭跡([[料亭]])
 
== 大仏城跡出土宝塔 ==
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== 紅葉山通り ==
同施設の側を通ることからその名前で親しまれている。[[明治]]から確認される道路名で<ref>福島市街明確全図(明治32年版)、福島市街明確全図(2012年版)</ref>、[[明治]]の[[三島通庸]]県令によって[[1882年]]に現在の形の紅葉山通り開通した<ref>野田町発達史―福島市 (1983年)</ref>。[[近代]]になり[[福島城]]二の丸御外庭(別名:紅葉山)の北側を東西に沿う路線からそう呼ばれ始めた。[[福島県道148号水原福島線]]の一部区間、福島市道中町・太田町線及び市道太田町・宮ノ東線、都市計画道路杉妻町早稲町線が該当する。
 
== 敷地内 ==
* 杉妻稲荷神社
* 大ケヤキ - 樹齢400年以上
* 偕楽亭跡([[料亭]])
 
== 出典 ==