「根本康広」の版間の差分

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|名 = 根本康広
|国 = {{JPN}}
|出 = [[東京都]][[北区 (東京都)|北区]]<ref name="nemoto" />
|生 = {{生年月日と年齢|1956|1|31}}<ref name="nemoto" />
|死 =
|通 = 2633戦235勝<ref name="nemoto" />
|重 = 14勝
|G1 = 53(うち2勝は障害競走)
|調初 = 1997年(1998年開業)
|所 = [[美浦トレーニングセンター]]
 
1977年に騎手デビュー。当初は障害競走で活躍し、1981年までに[[バローネターフ]]、ナカミショウグンといった騎乗馬で[[中山大障害]]3勝を挙げる。1985年秋の天皇賞において[[ギャロップダイナ]]に騎乗し、「皇帝」と称されていた本命馬[[シンボリルドルフ]]を破り、[[競馬の競走格付け|GI競走]]初制覇。1986年には[[メリーナイス]]で[[朝日杯フューチュリティステークス|朝日杯3歳ステークス]]を、翌1987年には[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]を制した。1997年に騎手を引退し、1998年より調教師として美浦トレーニングセンターに厩舎開業。
 
2016年3月より厩舎所属騎手が3人となった。{{要出典範囲|date=2016年3月|これはフリーになる騎手が多く出ている中で、厩舎所属騎手が少なくなっている状況および厩舎所属騎手は多くても2人までが一般的である近年では、3人およびそれ以上の騎手が厩舎に所属するのは極めて異例の部類となっている。}}
 
== 経歴 ==
 
翌1998年より美浦トレーニングセンターに厩舎を開業している。2007年には往年の騎手を集めて行われたエキシビション競走・[[ジョッキーマスターズ]]にメリーナイスの[[勝負服 (競馬)|勝負服]]色で出場。結果は最下位9着であったが、競走後には「思い出の勝負服を再び着れて嬉しかったです。風車ムチもできました」などと感想を述べた<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20160220120722/http://www.jra.go.jp/topics/video/vg_race/jm/ |title=第1回ジョッキーマスターズ |author= |publisher=日本中央競馬会 |accessdate=2016年2月20日 |date=}}</ref>。なお、この競走の実現には根本の尽力が大きかったという<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20160220120524/http://jra.jp/topics/video/vg_race/vg_jm/1_jm/jockey5.html |title=ジョッキーマスターズ出場者・根本康広調教師 |author= |publisher=日本中央競馬会 |accessdate=2016年2月20日 |date=}}</ref>。翌年行われた第2回競走には解説者として参加した<ref>{{Cite web |url=http://web.archive.org/web/20160220120857/http://keiba.radionikkei.jp/keiba/sp/entry-158565.html |title=【ジョッキーM】(東京)〜河内洋騎手が2年連続勝利 |author= |publisher=競馬実況web |accessdate=2016年2月20日 |date=2008-11-9}}</ref>。
 
2016年3月より厩舎所属騎手が3人となった。{{要出典範囲|date=2016年3月|これはフリーになる騎手が多く出ている中で、厩舎所属騎手が少なくなっている状況および厩舎所属騎手は多くても2人までが一般的である近年では、3人およびそれ以上の騎手が厩舎に所属するのは極めて異例の部類となっている。}}
 
== 人物 ==
4,015

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