「エドゥアール・リュカ」の版間の差分

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== 人物・経歴 ==キャノンボール<!--キャノンボールは曖昧さ回避-->問題
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'''フランソワ・エドゥアール・アナトール・リュカ'''('''François Édouard Anatole Lucas'''、[[1842年]][[4月4日]] - [[1891年]][[10月3日]])は[[フランス]]の[[アミアン]]出身の[[数学者]]。[[フィボナッチ数]]の研究で知られ、その第 ''n'' 項を求める公式を与えた。また、フィボナッチ数列の一般化である[[リュカ数列]]は彼にちなんで名付けられた。
 
== 人物・経歴 ==
[[高等師範学校 (フランス)|エコール・ノルマル・シュペリウール]]で学び、天文台に勤めた後、[[パリ]]で数学の教授になった。なお、[[普仏戦争]]が勃発した[[1870年]]に、[[フランス陸軍]]の[[砲兵]][[士官]]として従軍した経験がある。
 
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:<math>\sum_{n=1}^{N} n^2 = M^2\;</math>
 
が 1 より大きい整数解として ''N'' = 24, ''M'' = 70 を唯一の解に持つことを示せ、という問題を提示した<ref>E. Lucas, "Question 1180", Nouvelles Annales de Mathématiques, ser. 2, 14, 336, 1875.</ref>。この問題は俗にリュカのキャノンボール<!--[[キャノンボール]]は曖昧さ回避-->問題と呼ばれる<ref>リュカの元々の問題が、数式を用いずに球を並べるパズルとして提示されたことに由来する。</ref>。リュカ自身の証明は不完全であり、完全な証明が初めて与えられたのは1918年のことである<ref>G. N. Watson, "The problem of the square pyramid", Messenger Maths, 48, 1-22, 1919.</ref>。その証明は超楕円関数を用いた複雑なものであったが、現在はもっと易しい証明が知られている<ref>W. S. Anglin, "The square pyramid puzzle", American Mathematical Monthly, 97, 120-124, 1990.</ref>。
 
[[数学パズル]]にも興味を持ち、[[二進記数法|二進数]]を用いて[[チャイニーズリング|五連環]]の解法を表した。さらに、現在でも[[アルゴリズム]]や[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]の教材としてよく用いられるパズル、[[ハノイの塔]]を考案し、偽名 N. Claus de Siam([[タイ王国|シャム]]のクラウス)を用いてこれを販売した。この名は Lucas d'Amiens(アミアンのリュカ)の[[アナグラム]]と考えられている。