「スロットマシン」の版間の差分

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=== リバティ・ベルと3リールマシンの台頭 ===
[[ファイル:liberty bell.jpg|thumb||right|200px|チャールズ・フェイが開発したリバティ・ベル]]
1898年、アメリカのカリフォルニア州[[サンフランシスコ]]でスロットマシンの開発を行っていたドイツ系移民のチャールズ・フェイ (Charles August Fey 1862-1944) は、3つの回転輪を持ち、ゲーム結果の判定及び賞金の払い出しを自動的に行う機能を備えた初めての3リールマシン「カード・ベル」が、ドイツ移民であるチャールズ・フェイ (Charles August Fey 1862-1944) によって発明された。翌1899年、フェイはそのメカニズムを搭載した「リバティ・ベル」機をサンフランシスコのサルーンに設置して売上を折半する営業方法を採って、大きな成功を収めた。フェイはこの機械を販売しなかったため、そのメカニズムの秘密は長い間明らかにされなかったが、1905年、あるサルーンに設置されていたリバティ・ベル機が何者かによって盗み出される事件があったり、その後に、当時のスロットマシンメーカーの最大手であるミルズ社より、「ミルズ・リバティ・ベル」という名の、「リバティ・ベル」フェイの発明に酷似するリールマシン売り出された。ミルズ社はその後も精力的に新製品類似のリールマシンを開発、販売し、他のスロットマシンメーカーもこれを模倣した製品の製造を始めたため、フェイが独占していた頃にはサンフランシスコに留まっていた3リールのリールマシンは全米を席巻するようになり、やがては世界に広まることとなった。フェイの発明「リバティ・ベル」が規定したリールマシンの基本要件は現代に至ってもなお変わらないエポックである認識されして現在、「リバティ・ベル」を開発したサンフランシスコにあったフェイの工房の跡地には、現在、カリフォルニア州が認定する937番目の史跡として記念碑が建てられている。<ref>カリフォルニア州歴史保存局(Office of Historic Presrvation)のウェブページ[[http://ohp.parks.ca.gov/?page_id=21482]]</ref>
 
=== シンボル(絵柄)の変遷 ===