「山川直人 (映画監督)」の版間の差分

[[早稲田大学]][[教育学部]]に進学。同時に「早稲田大学シネマ研究会」に入会。大学2年生の時、シネ研の先輩に誘われて[[8ミリ映画]]の美術を担当した。これが[[自主映画]]を製作するきっかけとなり、2年生の終わりからシナリオを書き出す<ref name="中日新聞2015-7-20" />。
 
1978年、学生運動を描いた『ビハインド』を監督し、1979年、[[犬童一心]]、[[手塚眞]]らと共に[[ぴあフィルムフェスティバル]]に入選する。同作品では郷里の[[飯田線]][[三河大野駅]]でロケをおこなった。
 
テレビ等の露出は少ないが、作品はコアな映画ファンに支持されており、その中でも[[田中要次]]は山川が監督を務めたプロモーションビデオに出演したことがきっかけで当時勤務していた[[東海旅客鉄道|JR東海]]を退職して俳優に転向している<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/11/15/kiji/K20151115011514350.html 元国鉄マン田中要次 民営化が「運命」職場は愛知に、映画館通いに火] - スポーツニッポン、2015年11月15日配信</ref>。作風は前衛的で、初期作品には早大同窓の[[室井滋]]を多用している。
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