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光太夫の生涯を描いた小説『[[おろしや国酔夢譚]]』([[井上靖]]、[[1968年]])では帰国後の光太夫と磯吉は自宅に軟禁され、不自由な生活を送っていたように描かれているが、実際には以上のように比較的自由な生活を送っており、決して罪人のように扱われていたわけではなかったようである。それら資料の発見以降に発表された小説『大黒屋光太夫』([[吉村昭]]、[[2003年]])では事実を反映した結末となっている。
 
なお、三重県鈴鹿市若松東には光太夫の行方不明から2年後に死亡したものと思い込んだ荷主が建立した[[砂岩]]の供養碑があり、[[1986年]]に鈴鹿市の文化財に指定されている<ref>{{Cite news|url=http://web.archive.org/web/20131203021856/http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20131201/CK2013120102000011.html|title=建立230年の光太夫供養碑を修復 鈴鹿で開眼法要|newspaper =中日新聞|date=2013-12-01|accessdate=2013-12-01}}</ref>。
 
== 大黒屋光太夫に関わる史料 ==