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== 略歴 ==
[[パイロット版]]である『[[平凡パンチ]]』女性版を経て[[1970年]]3月に、フランスの女性向けファッション誌『[[ELLE (雑誌)|ELLE]]』の日本語版『'''an・an ELLE JAPON'''('''アンアン エルジャポン''')』として創刊。最盛期には約60万部を売り上げた。創刊当時の編集室は[[六本木]]に置かれたが、2年足らずで[[銀座]]の平凡出版本社に移転した。1971年に[[集英社]]が『[[non-no]]』を創刊すると部数は低下したが、女性向け情報誌としては高い人気を誇った。両誌による街や観光地特集や反響を呼び、雑誌片手に各地に押し寄せる読者たちは「[[アンノン族]]」と呼ばれ多くのファッションの流行を生んだ。1982年に平凡出版は新たに『ELLE』日本語版として『ELLE JAPON(エルジャポン)』を創刊し、『an・an』は独立したファッション雑誌となった。創刊時の発行回数は月2回だったが、[[1979年]]5月に月3回へ変更。さらに[[1981年]]8月には週刊化し当初は金曜日発売だったが[[2001年]][[8月22日]]発売の1279号から水曜日に変更、現在に至る。
 
== 歴史 ==
=== 1970年代 ===
『an・an』の始まりは、『[[平凡パンチ]]』女性版であった。[[1969年]]、[[マガジンハウス|平凡出版社(現マガジンハウス)]]の[[岩堀喜之助]]と清水達雄専務が、[[パリ]]へ向かい、[[フランス]]の女性週刊誌『[[ELLE (雑誌)|ELLE]]』と提携契約を結んだ。[[1970年]][[3月20日]]、『ELLE』のライセンスマガジンとして『'''an・an ELLE JAPON'''('''アンアン エルジャポン''')』が創刊された。編集長に芝崎文、アートディレクターに堀内誠一を迎え、表紙には金髪の外国人モデルが起用された<ref>{{cite news|url =http://kot-book.com/anan%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/| title =an・anの歴史と由来を徹底解剖!|publisher =KOBI|date=2015}}</ref>。創刊号の巻頭には駐日フランス大使が祝辞を寄せ、グラビアでは[[ファッションモデル]]の[[立川ユリ]]が[[エールフランス]]のパリ行きの[[飛行機]]に乗り込む様子が描かれている。誌面には、[[澁澤龍彦]]訳の[[童話]]や、この8か月後に[[割腹自殺]]する[[三島由紀夫]]の[[エッセー]]、知的二枚目スターとして人気を博していた[[石坂浩二]]のグラビアが掲載された{{Sfn|北原みのり|2011|p=11}}。
 
70年代初期には、ほぼ毎号ヌード写真が掲載された。それはポルノ的なものではなく、モデルは男女関係なく登場し、裸そのものを問うような芸術的で政治色の強いものだった。例えば、[[立木義浩]]による「ファミリーヌード」シリーズである。当時活躍していたクリエイターやアーティストの男女カップルのヌードを立木が撮影する企画で、結成間もない[[サディスティック・ミカ・バンド]]の[[加藤和彦]]と[[加藤ミカ]]も登場している。また、[[妊婦]]もヌードを披露している。[[1971年]][[6月20日]]号では、未婚の母となることを発表し、世間から大バッシングを受けていた[[加賀まりこ]]を全面的に応援し、立木によるヌードグラビア特集を組んでいる。また、1970年11月5日号から始まった「読者のお見合い写真でーす」という連載企画では、一般読者ですらヌードになっている{{Sfn|北原みのり|2011|p=15-17}}。
 
この時期の『an・an』は、ヌードだけではなく、あらゆるところで性的なものを肯定していた。例えば、[[ローリングストーンズ]]のアメリカ公演を紹介した記事(70年8月20日号)では、[[ミック・ジャガー]]を「スーパー・セックス人種」と位置づけ、彼の[[男性器|性器]]に言及。「ご主人と、毎日キスしてますか?」という特集(71年1月5日号)では、有名人の妻に夫のセックスを採点してもらう[[アンケート]]を送りつけている。その中には[[佐藤栄作]]の妻[[佐藤寛子 (首相夫人)|佐藤寛子]]が含まれていたが、彼女は洒落っ気を交えた調子で「ノーコメントでございます」と返している{{Sfn|北原みのり|2011|p=17,18}}。1975年8月5日号では、[[貞操観念]]について言及している。この頃から、男性有名人の意見が掲載されるようになり、同号の記事でも[[岡田眞澄]]、[[黒田征太郎]]、[[和田勉]]がコメントを寄せているが、編集者は次のページで「男の意見を聞いてみるほどアホらしいことはない」「勝手に好きなこと言いやがって」と一蹴している{{Sfn|北原みのり|2011|p=32}}。加えて、[[ウーマンリブ]]にも関心を寄せていた。70年4月20日号の特集では「男をみな殺しにしろ!」と過激な見出しを付けて、[[アンディ・ウォーホル]]を[[拳銃]]で撃った[[:en:Valerie Solanas|バレリー・ソラチネ]]とその事件をきっかけに、ニューヨークで広まった女性運動を紹介する記事を掲載。ソラチネは過激なフェミニストとして知られており、「全男性抹殺団([[:en:SCUM Manifesto|S.C.U.M. /Society for Cutting Up Men]])」」(『an・an』は「男ぶっ殺し協会」と訳している)のメンバーであった。誌面では、S.C.U.M.の標語を語気を緩めることなく訳して紹介している。73年3月20号ではウーマンリブに無知な女性に向けて、リブグループの活動を紹介している{{Sfn|北原みのり|2011|p=19-22}}。
 
70年代の『an・an』は、[[反体制]]的姿勢が目立つ。特にそれは[[薬物]]に対する感覚によく表れている。1970年8月20日号では、「あなたも[[マリファナ]]すいたくない?」と提案{{Sfn|北原みのり|2011|p=23}}。マリファナや[[LSD (薬物)|LSD]]で[[逮捕]]される人を「運が悪い」、他人に迷惑がかからなければ[[タバコ]]より害がするないため「別に悪いことだとわ思わないけど……」と述べ、[[大麻取締法]]違反容疑で逮捕され、[[裁判]]で反省の言葉を口にした[[加橋かつみ|トッポこと加橋かつみ]]に対する失望を露わにした。また、この記事の中で、[[警察]]を「ポリ公」、[[刑務所]]を「ブタ箱」呼ばわりしている{{Sfn|北原みのり|2011|p=24}}。マリファナに関する記事は、他にも何度か登場し、1972年5月5日号には、[[日本放送協会|NHK]]職員の女性の「仕事が嫌になったので、[[インド]]か[[マウイ島]]にでも行って、マリファナとかLSDのドラッグをやって、ゆっくりのんびり暮らしたい」という投稿を掲載した{{Sfn|北原みのり|2011|p=24,25}}。[[1972年]][[2月]]に[[あさま山荘事件]]が起こると[[連合赤軍]]を非難する声明を発表するが、この年を境に雑誌は政治色を薄れさせていき、マリファナや[[ベトナム戦争]]関連の記事が消えていった{{Sfn|北原みのり|2011|p=31}}。
 
[[レズビアン]]に関する特集も多かった。1971年1月20日号では「今年はレズビアンを体験してみることに決めました」と宣言。同年4月20日号では、何組かの2人組の女性が登場し、その関係を語っている。その女性たちはレズビアンと公言しているわけではなく、あくまで「女性の友情」という括りである。その中に、当時の国民的スター歌手だった[[佐良直美]]が同級生の[[タカラジェンヌ]]の女性と登場している{{Sfn|北原みのり|2011|p=26,27}}。なお、佐良は80年代に女性パートナーに関係を暴露され、スターの地位を失っている。
 
『an・an』は創刊当時、赤字続きだった。女性誌で初めて[[星占い]]のページを設けたり、[[絵画]]の様な美しいアートディレクションが話題になりつつも、当時の一般女性が手にするには、あまりにも先鋭的であった。ファッションに敏感な[[六本木]]の本屋ですら立ち読みされる程度で、返本率は40%近くだった。同誌が本格的に部数を伸ばしていくのは、[[集英社]]が女性誌を徹底的に研究し、日本人女性に受けるように作った『[[non-no]]』が成功した1972年あたりからである。グラビア中心の女性誌が定着していった過程で、『an・an』の人気も定着していった{{Sfn|北原みのり|2011|p=29}}。1979年5月5日、「さよならアンアン号」が発売された。来る[[1980年代]]に向けて70年代を総括し、発売日をこれまでの月2回から1日、11日、21日として(日本初のテンデイズ・マガジン)、オールカラーの薄型になると宣言した{{Sfn|北原みのり|2011|p=37}}。この号では、[[川久保玲]]、[[三宅一生]]、[[花井幸子]]、[[長新太]]、[[菊地武夫]]、[[安井かずみ]]、[[澁澤龍彦]]、[[横尾忠則]]といった本誌で活動してきた初期メンバーがコメントを寄せている{{Sfn|北原みのり|2011|p=37}}。
 
=== 1980年代 ===
[[高度経済成長]]がピークに達し、バブルに向かっていた[[1980年代]]は、女性に遊びを楽しむこと推奨するとともに、[[労働]]にも目を向けた。1981年から始まった連載「女の職業」では、働く女性達を取材した女性目線の[[ルポタージュ]]を掲載。[[ツアーコンダクター]]、[[レポーター]]、[[イラストレーター]]、[[スタイリスト]]、[[ファッションモデル]]など当時多くの女性の憧れの職業とされていた「カタナカ職業」の女性たちを中心に紹介した{{Sfn|北原みのり|2011|p=42-44}}。
 
80年代に入ると、『an・an』はセックス特集で[[アイドル]]を解禁した。最先端のファッション誌を標榜する雑誌にとって、大衆の欲望そのものであるアイドルは不釣り合いで、『an・an』はアイドルを意識的に排除してきた{{Sfn|北原みのり|2011|p=45}}。しかし、80年代を超えたあたりから、テレビ番組で活躍するアイドルが登場するようになった。大々的なセックス特集を組んだ1983年6日・13日合併号では、表紙に[[郷ひろみ]]を起用。郷は全裸を披露したわけではないし、[[陰毛|ヘアー]]の露出があったわけでもないが、[[トランクス]]1枚に[[カーディガン]]を羽織っただけの姿で横たわっており、当時のスーパースターがセックスを想像させるようなポーズをとっているのが画期的であった{{Sfn|北原みのり|2011|p=46}}。また、同号の「妙に刺激的な男たちのハダカ鑑賞!」というコーナーでは、[[渡辺徹]]が女性に水をかけられびしょ濡れになった姿を披露。更に、[[伊藤敏八]]、[[伊東たけし]]、[[井上純一]]、[[広岡瞬]]がヌードになっている。また、結成したての[[とんねるず]]も登場しているが、彼らは『an・an』において一糸まとわぬ「完璧な全裸で登場した史上初めてのタレント」となった{{sfn|北原みのり|p=46,47}}。
 
1983年5月6日・13日合併号では、当時ポルノ女優だった[[美保純]]を肯定的に大きく取り上げた{{Sfn|北原みのり|p=52}}。1985年4月5日号では、80年代に流行していた裏ビデオ『洗濯屋ケンちゃん』に出演していた男優へのロングインタビューに成功している{{Sfn|北原みのり|2011|p=51}}。また同号のセックス特集で、読者アンケートによる「このひとならSEXしてもいい、SEXしたい男ベスト10」を発表する。これは、後の「抱かれたい男ランキング」の前身企画である。なお、第1回の「SEXしたい男」の人選は以下の通りである。
 
{| class="wikitable" style="margin:0 auto"
|+ 第1回「このひとならSEXしてもいい、SEXしたい男ベスト10{{Sfn|北原みのり|2011|p=48}}
|-
|
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
# [[山崎努]]
# [[明石家さんま]]
# [[マット・ディロン]]
# [[藤竜也]]
# [[吉川晃司]]
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
{{Numbered list||start=6
| [[舘ひろし]]
| [[郷ひろみ]]
| [[天宮良]]
| [[萩原健一]]
| [[所ジョージ]]
}}
</div><br style="clear: left;" />
|}
 
1989年4月14日号のセックス特集で「セックスで、きれいになる。」を発表(表紙イラストは[[金子國義]])。それまでセックス特集を組む女性誌も女性向けエロ本も多数あったが、『an・an』が革新的だったのは、「きれいになる」ことを打ち出したことだった{{Sfn|北原みのり|p=61}}。内容は、綺麗になる為の化粧品特集や産婦人科医による避妊方法の紹介、性感染症を表にして分かりやすく解説したページ、[[自慰]]の勧め、膣の鍛え方など今の女性誌のセックス特集の基礎となるものが全てつまっていた{{Sfn|北原みのり|p=61}}。また、[[岡崎京子]]、[[南美季子]]、[[群ようこ]]など人気漫画家や作家などがセックスを語り、[[AV女優]][[黒木香]]を招いた悩み相談のコーナーも設けられた{{Sfn|北原みのり|2011|P=62,63}}。読者アンケートでは、読者100人が自分のセックス観を淡々と語っている{{Sfn|北原みのり|2011|P=61,62}}。この「セックスで、きれいになる。」は、賛否両論の評価を受けた。10代女性のセックス観に大きな影響を与える一方で、男性週刊誌は野卑な調子で紹介し、女性文化人たちは「打算的だ」と批判的な意見をテレビ番組や雑誌のコラムで発表した{{Sfn|北原みのり|2011|P=65}}。
 
== 誌面 ==
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*[[長沢節]]
 
== 脚注 ==
 
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|colwidth=30em}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book ja-jp|author = [[北原みのり]]|year = 2011|title = アンアンのセックスできれいになれた?|publisher = [[朝日新聞出版]]|isbn=978-4-02-250807-2|ref={{SfnRef|北原みのり|2011}}}}
 
==関連項目==