「ガリシア王国」の版間の差分

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== 西ゴート王国の従属王国 ==
スエビ王国 (''regnum Suevorum'') が、西ゴート王[[エギカ]] ([[:en:ErgicaEgica]]) によって、彼の子で共同統治者の[[ウィティザ]] ([[:en:Wittiza]]) の従属王国として再度建国された。『アルフォンソ3世年代記』は正確さは疑わしいが欠くことはできない書物で、この出来事を記録した唯一にして第一の文献である。常にナンセンスだとして葬り去られてきたものの、後期西ゴート時代を研究する学者から支持を受けている。
 
701年、ギリシャからスペインへ西進した[[ペスト]]の発生は、西ゴートの首都[[トレド]]を打ちのめし、エルギカやウィティザを含む王族らが首都を逃れなければならないほど過酷なものだった。これは、ウィティザを、スエビ族の王国を治めようと[[トゥイ (スペイン)|トゥイ]](彼が首都を置いていたと記録されている)へ送るための口実を与えたものだと推測されてきた<ref>Roger Collins (2004), ''Visigothic Spain, 409–711''. (Oxford: Blackwell Publishing.), 110. <small>ISBN 0 631 18185 7.</small></ref>。ウィティザが[[ユダヤ人]]の圧制を救ったと記録された時期は、可能性として13世紀の年代史作家トゥイのルカスが挙げていた-ウィティザの父エルギカ時代以降のトレドで、ウィティザの治世時代に起きたとする事実としては知られていない—実際は、ルカスの地元であるトゥイでのウィティザの治世については、口頭による伝承がウィティザのガリシア統治の出来事を今に伝え続けてきたのだと推測されている<ref>Bernard S. Bachrach (1973), [http://links.jstor.org/sici?sici=0002-8762%28197302%2978%3A1%3C11%3AAROVJP%3E2.0.CO%3B2-D "A Reassessment of Visigothic Jewish Policy, 589-711."] ''The American Historical Review'', '''78''':1 (Feb.), pp 31–32. Lucas' account has a large number of both detractors (Graetz, Katz, and Dahn) and supporters (Scherer, Ziegler, and Altamira) and even if true it is possible that Lucas' story is based on the minutes of XVIII Toledo, which still survived in his time.</ref>。