「発生生物学」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
しまあじ (会話 | 投稿記録)
{{要出典範囲}}と{{いつ}}と{{誰}}が重複して貼られている記述のタグを {{要出典範囲}}ひとつにまとめる。ケチつけタグを無暗にたくさん貼れば問題が解決されるってもんではない
編集の要約なし
36行目:
18世紀までは生物の体はあらかじめ完全な形で形成されているという'''[[前成説]]'''が有力であった。[[顕微鏡]]を作成した[[レーウェンフック]]は様々な動物の[[精子]]を観察し、精子の中には完全な形をした[[ホムンクルス]]が入れ子になっているという前成説を支持した。これに対して、ヴォルフは1759年にニワトリ卵にいて器官の原基が小さい球体として生じる詳細を説明して、最初から器官の形が存在する訳ではないことを明確に述べた。これが[[後成説]]の成立と見なされる。その後19世紀には後成説がほぼ認められるようになった。
 
実質的なこの分野での発展は、[[ィルヘルム・ルー]]による[[実験発生学]]によって始まる。ルーは発生の各段階の胚にさまざまな刺激を与え、それによる胚発生の変わり方を見ることで、発生機構を解明しようとした。たとえば、彼の実験で有名なものに、カエルの卵の二細胞期に、片方の割球(細胞のこと)を加熱した針で殺す、というものがある。その結果、残りの割球は発生を続け、半分の形の胚ができた。このことから、彼は第一卵割の時に胚の左右の分化が起きると結論づけている。この実験は、割球を取り除くと完全な胚が生じるため、この結論は正しくないが、このような方法で発生の仕組みに迫ろうとしたものである。
 
なお、彼の研究は主として[[ヴァイスマン]]の[[生殖細胞質連続説]]に関わりが深い。この説は、遺伝子のようなものが親から子へと生殖細胞を通じて伝わるという[[遺伝]]の説という側面と、その中に含まれる決定要素が卵割によって配分されることで個々の細胞の分化が決まるとする発生論の側面があり、ルーの実験はその当否を確かめることを目指した。