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== 事績 ==
彼が従えたという「王」は、王とはいえ「村の王」だったかもしれず、彼の「王国」がどの程度の規模だったかは不明である。それは彼が''「1400人の兵士と40両の[[チャリオット|戦車]]を率い」''と誇らしげに記していることから窺える。ヒッタイト人は宗教的理由から([[古代エジプト]]の[[ファラオ]]とは対照的に)記録に誇張をしない傾向があるため、この数字はほぼ正確であると考えられる。アニッタは(後世の目から見れば)割合小規模な軍勢を率いて遠征を続け、のちにヒッタイト帝国の首都となるハットゥシャを攻略して先住民ハッティ人の王[[ピユシュティ]]を降し、この町を焼き払った。''「夜中に都市を攻略し、そこに草一本生えないようにした。我が後の王でここに住むものあれば、天なる天候神の怒りに触れん」''と記している。
*[http://www.hittites.info/history.aspx?text=history%2fHattic.htm#Anitta Reign of Anitta](英語)
{{先代次代|[[ヒッタイト|ヒッタイトの大王]]|紀元前18世紀|[[ピトハナ]]<br />「クッシャラの王」|(約2世紀の間記録なし)<br />[[ラバルナ1世]]}}▼
{{DEFAULTSORT:あにつた}}
▲{{先代次代|[[ヒッタイト|ヒッタイトの大王]]|紀元前18世紀|[[ピトハナ]]</br>
▲[[Category:ヒッタイト帝国の君主|あにつた]]
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