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== 文化 ==
[[ファイル:汉兵马俑.jpg|thumb|250px|龜山漢墓から出土した、漢代の[[兵馬俑]]]]
龜山漢墓や[[獅子山漢楚王墓|獅子山楚王陵]]など、漢の時代に楚国の王や諸侯らの残した墓が市街周辺に多くある。市街東部の獅子山からは[[1984年]]に数千体の[[兵馬俑]](西安の秦の兵馬俑よりは小型)が発見され、その後前漢時代の第三代楚王・[[劉戊]]の墓陵が発見された。その他、楚の王家や貴族などの、墓碑や祠堂の壁石に刻まれた「漢画像石」と呼ばれるレリーフも多く出土し、博物館などで公開されている。
 
また北宋時代の蘇軾が残した建築物も多い。蘇軾が徐州に赴任した後、当時すぐ横を流れていた黄河が氾濫したが、彼は民衆を指揮し、臨時の堤防を設計し築いてこれを食い止めた。その後築造した恒久的な堤防が蘇堤である。杭州の西湖にある蘇軾の作った同名の堤とは別)