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同年11月25日にはシカゴからワシントンDCへ向かうアメリカン航空444便の爆破テロを企図した。未遂に終わったものの、12人の乗客が爆弾から噴き出た煙を吸い込んで病院に搬送される事態となり、FBIが連邦犯罪としてユナボマーの捜査を行う最初の事件となった。
 
1980年6月10日は[[ユナイテッド航空]]の社長に対し、書籍に偽装した爆弾を自宅に送り付け負傷させる。
 
1981年10月8日には[[ユタ大学]]に爆弾を送り付けるが警察により解体され未遂に終わる。
同年7月2日には[[カリフォルニア大学バークレー校]]に爆弾を送り付け、[[電子工学科]]教授が負傷する。
 
1985年5月15日にはカリフォルニア大学バークレー校に再び爆弾を送り付け、電子工学科の大学院生が右手の指4本を失うなどの重傷を負う。
 
同年6月13日には[[ボーイング]]社の[[オーバーン (ワシントン州)]]の製造部門に爆弾が送り付けられるが、爆弾処理班により解体され未遂に終わる。
1985年12月11日に[[カリフォルニア州]]サクラメントのパソコン店経営者を爆殺し、初めての死者が出る。
 
同年11月15日には[[ミシガン大学]]の[[心理学]]教授に爆弾が送り付けられ、2人が負傷する。
1987年[[ソルトレークシティー]]で初めて目撃され、似顔絵が全米に周知されたが1988年から1992年までは全く犯行を行わず、爆弾製造技術を磨いていた。
 
199361211日犯行を再開し、は[[カリフォルニア大学州]]サクラメント遺伝学パソコン店経営とイェール大学を爆殺し、初めて教授に爆弾を送りつけ重傷を負わせ死者が出る。
 
1987年2月20には[[ソルトレークシティー]]のコンピュータ店経営者を負傷させる。その際に初めて目撃され、似顔絵が全米に周知されたが1988年から1992年までは全く犯行を行わず、爆弾製造技術を磨いていた。
1994年12月10日に[[バーソン・マーステラ]]社の重役、1995年4月24日に木材業界のロビイスト団体代表を爆殺する。
 
1993年6月に犯行を再開し、22日には[[カリフォルニア大学]]の遺伝学者、24日にはは[[イェール大学]]の[[コンピューターサイエンス]]学科教授に爆弾を送りつけそれぞれ重傷を負わせる。
 
1994年12月10日に[[バーソン・マーステラ]]社の重役、1995年4月24日に木材業界のロビイスト団体代表をそれぞれ爆殺する。
 
[[1995年]]、犯行声明文(産業社会とその未来)、いわゆる「ユナボマー・マニフェスト」を全国紙に載せることを条件に犯行を中止する。
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