「ニコラウス・アーノンクール」の版間の差分

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==略歴==
[[ドイツ]]の[[ベルリン]]で生まれ、[[グラーツ]]で少年時代を過ごした。母のラディスラヤは[[神聖ローマ皇帝]][[レオポルト2世]]の第13子[[ヨハン・バプティスト・フォン・エスターライヒ]](ヨハン大公)の息子[[フランツ・フォン・メラン]][[伯爵]]の娘であった<ref>[https://researchmap.jp/jo1z9c2yh-18602/#_18602 【評伝】ニコラウス・アーノンクールさん――「帝王」が恐れた指揮者] - [[鈴村裕輔]] 2016年3月7日(2016年3月7日閲覧)</ref>。ウィーン国立音楽院(現・[[ウィーン国立音楽大学]])時代はチェロを専攻、卒業後[[1952年]]から[[1969年]]まで[[ウィーン交響楽団]]にチェロ奏者として在籍。
 
ウィーン交響楽団入団の翌年、[[1953年]]にはアリス夫人らとともに古楽器オーケストラ「[[ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス]]」を立ち上げるも、このオーケストラの演奏会デビューは4年後の[[1957年]]に持ち越された。