「江藤夏雄」の版間の差分

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== 経歴 ==
東京生まれ。父は江藤新平の二男で衆議院議員の[[江藤新作]]。冬に生まれた兄が冬雄と名付けられたのと同じく、夏に生まれたので夏雄と名付けられた。[[第五高等学校 (旧制)|第五高等学校]]、[[京都帝国大学]][[経済学部]]卒業後、[[満州鉄道]]職員、[[満州国]]官吏、[[興亜院]]秘書官などを経て[[1946年]]3月、[[第22回衆議院議員総選挙]]に[[日本自由党 (1945-1948)|日本自由党]]所属として佐賀選挙区に出馬し初当選を果たす。その後[[GHQ]]による[[公職追放]]の余波もあり2期に渡り出馬しなかったが、[[1952年]]10月、[[第25回衆議院議員総選挙]]に[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]から再出馬する。選挙は次点で敗れるが当選した[[愛野時一郎]]の死去により[[繰り上げ当選]]を果たした。続く[[第26回衆議院議員総選挙]]でも[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党吉田派]]所属で当選を果たしたが、[[1955年]]の[[第27回衆議院議員総選挙]]で落選すると翌年結成された自由民主党佐賀県連で佐賀市支部長を務めたものの政界の一線を退いた。
 
議員としては、帝国議会時代に行われた[[第90回帝国議会]][[衆議院]][[帝国憲法改正小委員会]]に[[芦田均]](委員長)、[[北昤吉]]、[[廿日出厖]]、[[高橋泰雄]](以上自由党)、[[犬養健]]、[[吉田安]]、[[原夫次郎]](以上[[日本進歩党|進歩党]])、[[鈴木義男]]、[[森戸辰男]]、[[西尾末広]](以上[[日本社会党|社会党]])、[[林平馬]](共同民主党)、[[大島多蔵]](新政倶楽部)、[[笠井重治]](無所属倶楽部)とともに参加し、[[日本国憲法]]の誕生に関わった。また、[[第5次吉田内閣]]では[[防衛庁長官]][[木村篤太郎]]の下、防衛政務次官を務めている。