「福士幸次郎」の版間の差分

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[[File:Fukusi Kōjirō.jpg|100px180px|thumb|福士幸次郎]]
[[File:Poem Monument of Kojiro Fukushi.JPG|thumb|[[弘前公園]]の詩碑]]
'''福士幸次郎'''(ふくし こうじろう、[[1889年]][[11月5日]] - [[1946年]][[10月11日]])は、日本の詩人。
 
== 略歴 ==
[[青森県]][[弘前市]]生まれ。[[国民英学会]]卒業。1909年処女作を発表し、1914年第一詩集『太陽の子』を上梓、口語自由詩の先駆となる。のち評論で『日本音数律論』(1930)、民俗学の『原日本考』(1942)などを著した。[[佐藤紅緑]]と親しく、[[サトウハチロー]]の後見人だった。大脳生理学者・推理小説家・詩人である[[木々高太郎]]は弟子にあたり、木々は1915年に中学を卒業すると福士を師事して上京し、1918年には慶応義塾大学医学部に入学して医師になり、後に作家・詩人としても活動している。福士は[[ヴィクトル・ユーゴー|ユーゴー]]などの翻訳もおこなった。1932年に[[日本ファシズム連盟]]を結成した。
 
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