「天平文化」の版間の差分

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[[平城京]]には碁盤の目のような条坊制が布かれた。そこには多くの官衙(役所)が立てられ、貴族や庶民の家が瓦で葺き、柱には丹(に)を塗ることが奨励された。また、[[飛鳥]]に建てられた大寺院が次々と移転された。このようにして「咲く花のにおうが如く今盛りなり」と歌われた平城京が出来上がった。
 
聖武天皇により諸国に僧寺([[国分寺]])・尼寺([[国分尼寺]])を建て、それぞれに七重の塔を作り、[[金光明最勝王経]]と[[妙法蓮華経]]を一部ずつ置くことにした。その[[総本山]]と位置づけられる総国分寺・総国分尼寺が[[東大寺]]、[[法華寺]]であり、[[東大寺盧舎那仏像|東大寺大仏]]は、[[鎮護国家]]の象徴として建立された。この大事業を推進するには幅広い民衆の支持が必要であったため、[[行基]]を大僧正として迎え、協力を得た。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
国分寺・総国分尼寺が[[東大寺]]、[[法華寺]]であり、[[東大寺盧舎那仏像|東大寺大仏]]は、[[鎮護国家]]の象徴として建立された。この大事業を推進するには幅広い民衆の支持が必要であったため、[[行基]]を大僧正として迎え、協力を得た。
 
'''代表的な仏教建築'''